ふとした機会に野口英世に関する本を読み、その関連でもう1冊の本を読みました。「STAP細胞」が話題になった記憶もまだ新しい頃でしたので、科学で何かを成し遂げることの危うさはいつの時代でも同じだという感想を持ちました。野口英世への評価として、否定的な面もあれば肯定的な面も記されていますが、欲とか金銭といった泥臭い面の彼のエピソードを読むと、子供達に偉人として紹介される聖人君子の様なイメージの野口英世との乖離に戸惑います。最後のアフリカへの出発と彼の死について、なにかもやもやとした気持ちだけが、読んだ後に残りました。野口英世は何をした人かと息子に尋ねたことがあります。「黄熱病を発見した人」と、答えてくれました。少し違うんだがとも言ってやれず、大人になって興味が向いたらこれらの本を読んでくれと思いました。
黎明期のウイルス研究
野口英世と同時代の研究者たちの苦闘
鳥山重光 著
創風社 ¥2000(税別)
2008年10月15日 第1刷発行
著者は植物ウイルス学を専門にする農学博士であり、専門家の立場を踏まえて、「初期の濾過性ウイルスの研究の実情を踏まえて、野口英世の業績を批判的に検討し、そのままの姿を見ようとしたものである。」とのことです。また、「野口の業績を全面否定することへの警鐘」としての「一植物ウイルス研究者の試みである。」とも著者自身が述べています。
第1部で「欧米と日本における黎明期のウイルス研究」と題し、ウイルスの発見や初期の研究が記されています。第2部で「野口英世とロックフェラー研究所」と題し、野口英世の業績に関する記述に多くの頁を割いています。野口英世が亡くなった時のロックフェラー医学研究所を代表する3名の追悼の辞や、没後30年を経て書かれたポール・クラークの野口像などから読み取れる、著者の解説による示唆に富んだ文章が多く記されています。
締めくくりには、プレセットの著書について、「しかし、残念ながら、彼女が発見したものは、あるがままの野口英世であり、新たな発見に失敗した。」「プレセットの失敗は、1910年ごろから1935年代の世界の研究者たちの濾過性ウイルス研究を全く無視した調査だったことに原因があるのではなかろうか。」と述べています。
プレセットの著書を読む前に一度読み、読んだ後にもう一度読み直してみました。誰も追試(追加実験で結果の再現を確認すること)ができない野口の培養技術をも、全く否定するのではなく、後世にも影響を残していることの肯定的な評価もしています。一方で、厳密ではない当時の論文の査読システム(論文が掲載に値するかの評価判断システム)についての否定的な評価をしています。肯定できる面と、否定的な面の、両者を上手くバランスをとって書かれているようにも思えます。
Noguchi and His Patrons
野口英世
Isabel R. Plesset 著
中井久夫、枡矢好弘 訳
星和書店 ¥3900(税別)
1987年2月26日 第1刷発行
この本は野口英世を否定的に捉えている本であるとの評価もあります。淡々と、野口英世自身の書簡や周囲の人の発言、行動などを並べてあるようにも思えます。
アメリカやヨーロッパでの、そして中南米やアフリカでの、当時の研究生活の実際が窺い知れる内容です。黙々と実験に取り組んではいるが、彼の研究室そのものや、補助スタッフなど研究の体制は粗雑といった面や、精一杯虚勢もはったようなエピソードや書簡も数々記されています。他の者が追加実験を行って、野口英世の出した結論を確認しようとするも、どうしても再現できない論文の数々。彼はテクニックの問題と無視しますが、現代の科学の世界では論文として通用しないことは明らかです。一方、当時は無視されたが、後世になって電子顕微鏡が出てきて真実だとわかった彼の推察なども紹介されています。