ニューヨークのステーキハウス


年末のニューヨークでステーキハウスへ予約をいれました

数年前のニューヨーク旅行の到着初日、自由の女神、9/11メモリアルを訪れ、ホテルに戻った時には皆結構疲れていたので、晩御飯はホテル1階にあったHerb N’ Kitchenでハンバーガー、ターキーサンド、チキンシーザーサラダ、飲み物などを買って部屋で食べることにしました。シャワーを浴び、食べ物をお腹に入れると、私以外の家族はベットで寝息をたて始めました。つられて一緒に眠ってしまいそうでしたが、街を歩く人の多さに、翌日以降の夕食のレストランの予約をしておかなければと、気になり、早速電話をしてみました。悪い予感は当たります。TripAdvisorで目星をつけていたステーキハウスにまず電話してみると、翌日の予約は午後10時30分なら空いていますとの返事でした。2軒目は空きが無いとのことでした。仕方なくホテルのコンシェルジェの所に行って、お薦めの近所のステーキハウスはと訊きました。Bobby Van’s Grill & Steakhouseを教えてくれたので、翌日7時の予約も取ってもらいました。この調子だと、3日目と4日目の夕食の予約も、前日や当日では難しそうですので、また部屋に戻って、電話をかけ直しました。3日目はDel Frisco’s Double Eagle Steak Houseが午後6時で、4日目はKeens Steak Houseが同じく午後6時で予約がとれました。ちなみに、その電話の際に7時からでは席が用意できませんと言われました。前もって夕食の時間まで決めてしまうと、時間に縛られるので嫌なのですが、そうは言っておれない状況でした。

ホテルの部屋の電話は市内通話での手数料が分かりませんでしたので、持参した携帯電話を使いました。予約の際に、電話番号を聞かれますが、「ヒルトンホテルに泊まっています。日本の携帯電話しか持っていないがその番号で良いですか。」と答えると、その番号を言う必要はありませんでした。

Bobby Van’s Grill

135 West 50th Street
New York, NY 10020

http://www.bobbyvans.com/50th-street.html

滞在2日目の夕食は前夜ホテルのコンシェルジュを頼んで7時に予約しておいた、Bobby Van’s Grill に出かけました。ホテルからはストリート3本南下し、6th Ave.から7th Ave.側へ行ったところにありました。すぐに席に通され、グラスワインを頼み、お決まりのパターンでClassic caesar saladaをシェアし、Porterhouse steak for 2、Filet mignon、Prime NY sirloinを頼んでみました。サイドに、フライドポテト、ベイクドポテト、ほうれん草を追加しました。テーブルはほぼ満席で回転している様で、担当のお姉さんは忙しそうで、オーダーや頼みごとをするのに随分待たねばなりませんでした。Porterhouse steak for 2は2人で十分食べ応えのある量で、デザートまで進めませんでした。

会計時に、推奨されるチップとして20%が記入されていました。やはり気分の良いものではなく、帰国後TripAdvisorの口コミ批評を見ても、その20%のチップが前もって記入されていることに不快感を持つアメリカ人もいる様でした。今回の食事でも、実際に、給仕の間合いも余り良いとは感じなかったのですが、そこら辺りも口コミで多く指摘されていて、少し肯ける気もしました。料理、サービスとも一定のレベルは保たれているのですが、やはりお安くは無い価格帯のレストランですので、辛口の批評が多くなります。

Del Frisco’s Double Eagle Steak House

1221 Ave. of the Americas
New York, NY 10036

https://delfriscos.com/steakhouse/new-york

滞在3日目も昼の行動を終え、ホテルに戻って一息つき、6時に予約しておいたDel Frisco’s Double Eagle Steak Houseに歩いて出かけました。予約時間少し前には着いていたのですが、15分位待たされました。店内は一部吹き抜けになっており、2階席の、吹き抜けが見下ろせるテーブルに案内されました。窓の外にはRadio Cityが見えます。

前の晩も肉を十分食べていましたので、魚料理にしようかとも思ったのですが、妻がAlaskian King Crab Legsを頼むというので、テーブル担当のお兄さんのお奨めのBone-In Filetを頼みシェアすることにしました。グラスワインを頼み、サラダをシェアし、家族たちもそれぞれFilet Mignonなどを頼みました。サイドは彼らの希望でFrench FriesとBaked Potatoと、変わり映えのしない、いつもの選択です。

担当のお兄さんは、これまでで一番プロ意識を感じさせてくれた気持ちの良い接遇でした。フレンドリーな笑顔で、様々な気配りをしてくれました。席に着いた時も、この後にショーなど見に行く予定があるのかの確認もきちんとし、料理やワインの説明も丁寧でした。料理が来た時も、息子達の肉の焼き具合が大丈夫かカットして確認させてくれたり、その後も料理に問題ないかきちんと聞きに来てくれたりしました。気持ち良く食事が楽しめ、ついつい、我が家では珍しく食後のデザートとカプチーノへ突入しました。しかも、レモンケーキとニューヨークチーズケーキの2つも頼んでしまいました。デザートを持って来てくれた時に、息子が水のグラスをひっかけニューヨークチーズケーキに少しかかってしまうと、お兄さんの責任ではないのに、すぐに取り替えて、しかも無料にしてくれていたりと、感心してしまうほどでした。肝心の料理も美味しくAlaskian King Crab Legsも1ポンドではなく2ポンドで頼むべきだったと後悔しました。家族もそれぞれのステーキを完食です。

少し待たされた事や、受付のお姉さんに笑顔が足りなかった点と、テーブルの間隔が少し狭かったのが少しマイナスですが、ウエイターのお兄さんのお蔭で、大満足の夕食でした。

Keens Steakhouse

72 West 36 Street
New York, NY 10018

http://keens.com/

ニューヨーク最後の夕食は午後6時に予約を入れておいたKeens Steakhouseです。着くとすぐに2階のBull Moose Roomの窓際の席に案内してもらいました。この様なレストラン内では写真を撮るのは控えているのですが、他のアメリカ人らしきお客さんも写真を撮っていたので、部屋の名前にもなっているMooseを撮ってみました。隣の席にはまだお客さんが来ていなかったので、料理の写真も珍しく撮りました。

web siteでこのレストランに目星をつけた時から、名物のMutton Chopを頼むことに決めていました。マトンと言えば日本ではスライスをジンギスカン料理で食べるか、小さな塊のラムチョップを食べるか位ですので、ある意味衝撃的な肉の塊でした。シンプルに羊の肉の味を楽しむことが出来ました。左奥にある瓶のミントジェリー?をつけて食べる様で、トライしましたが、私には馴染めない味でした。

妻が頼んだのはPrime Ribですが、今までの概念を覆すように、こちらも塊という感じで出てきました。少し脂身が多かったと申しておりました。

息子らも其々肉を1皿ずつ頼み、サラダをシェアし、フレンチフライとベイクドポテトという、我が家お決まりになってしまった頼み方でした。注文後にすぐにパンと、野菜スティックも持ってきてくれました。グラスワインもついついお代わりしてしまいます。さらにデザートとして、ここでもチーズケーキを食べ、カプチーノも飲んで帰りました。

テーブル担当は、淡々と確実に仕事をこなしていくお姉さんで、ニューヨーク最後の夕食も十分楽しむことが出来ました。店内は古い作り、装飾のままで、端から端まで探検してみたい気分にしてくれる良い雰囲気でした。


陸マイラーへ幸運のインボラ involuntary upgrade


特典航空券が使えない陸マイラー

学生の頃は格安航空券を探しては旅に出ましたが、社会人になってからは各航空会社の正規割引航空券を使うようになりました。そこにマイレージサービスの特典を加えてアップグレードしてもらうのが密かな楽しみになりました。この様に特典を使う、或いは追加料金を払って客の負担で座席をアップグレードしてもらうのはvoluntary upgradeと呼ばれるそうです。あまり飛行機に搭乗することなく、提携クレジットカードなどでこつこつとマイルを貯め、無料特典航空券や、無料特典アップグレードサービスに使う人は「陸マイラー」と称される様です。仕事で飛行機に乗るのも年に数回あるかないかになってしまい、専らクレジットカードからのマイルを貯める私もその「陸マイラー」の一人です。

たまに出かける仕事や家族旅行で、その特典を使おうにも、繁忙期などの理由のため全く使えない現状では、何のためのマイレージか考えさせられてしまいます。航空会社にとっては、ビジネスで頻回に利用してくれる客の取り込みのためのシステムであって、たまに使うか使わないかの客に便宜を図っても利益はないことは重々承知しています。何処かの記事で読んだところによると、「まだハワイ路線にジャンボ機が飛んでいた頃は、ビジネス客が貯めたマイルの捌け口として、ハワイ路線の特典航空券は意味があった。」とのことです。しかも大阪からは日に2本飛んでいた時もありました。今は、特に繁忙期には特典航空券の枠が本当にあるのか疑ってしまうほど僅かな数の設定なのだと思います。

その昔には往きの330日前に電話して、まず往きの特典航空券を押さえ、帰りの330日前に電話して、帰りの特典航空券を押さえるという方法も可能でした。受付開始時間から電話をし続け、ようやく1時間位経って繋がり、そこからオペレーターが出るまでさらに30分位待って、ようやく念願の特典航空券を家族4人のうち3人分だけ確保したことがありました。それが唯一の機会でした。以降は、この方法が使えなくなり、ますます使い勝手が悪くなり、実際、国際線では特典航空券を利用できたことがありません。数年前に仕事で使う2月の閑散期のNRT~LAX往復を取ろうとしたことが有りますが3ヶ月前でも無理でした。最近は専ら、期限切れになりそうなマイルをJALクーポン特典にかえています。使うところは、大阪ではホテル日航大阪のレストランしか無く、クーポン自体が期限切れとなってしまうことも頻回です。UAのマイレージは一定期間内にマイルの追加があれば実質無期限ですので、期限切れの心配がありません。

陸マイラーが憧れのインボラ 

一方、航空会社が予約を取りすぎた場合、いわゆるオーバーブッキングの状態の場合、一部のお客さんを、航空会社の負担で空いている上のクラスの座席に割り振るinvoluntary upgradeがあり、「インボラ」と呼ばれているようです。この「インボラ」も、当然、上級会員などのその航空会社にとってのお得意様から順に享受できる仕組みのはずで、我々陸マイラーには縁の無い話だと諦めていました。これまでにも、そんな幸運に巡り合ったことはもちろんありませんでした。

「インボラ」に該当するお客さんの選び出しについて、某航空会社の旅客運行部長をされていた方が自身のブログ「いずみ鉄道 社長ブログ」の中で興味深い記事を書かれています。現代航空旅行用心集その4がその記事です。勝手に要約させていただくと、営業上特定契約を結んでいる企業の関係者やその航空会社の上級会員がまず優先されるとのことで、予想通りで至極当然のことと理解できます。 それでも更にまだ「インボラ」の必要が生じた時、優先してノミネートされるのは、

1:事前座席指定を持っていること。
事前座席指定でお席が入っているということは、エコノミークラスでも比較的高い航空券をご購入されていらっしゃるということです。このような方がまずノミネートされます。

但し、次の基準を同時に満たしていなければなりません。

2:身なりがきちんとしていること。
上着にネクタイは必須です。ネクタイは無くても襟付きのシャツを着ていればOK。丸首にジーンズは対象外となります。運動靴やサンダル、半ズボンもダメ。そして旅なれた雰囲気がある方でしょうか。機内に入って、見るからにアップグレードと判るような場違いな方は選ばれません。以前にアップグレードと知ったとたん、カウンターで「やったー! ラッキー!」と大声で万歳したため、すぐにエコノミーに逆戻りしたお客様がいらっしゃいました。人は見かけで判断してはいけませんが、やはり外見は大事です。とくに外国旅行では。

3:子供連れでないこと。
子供連れはアップグレードの対象となりません。赤ちゃんでもダメですね。
いくらおとなしい子供でも、社内規定で12歳以下はダメと決まっている会社もありますので、無理ですね。

4:特別機内食(スペシャルミール)を頼んでいないこと。
意外に重要なのがこれ。旅慣れた方の中にはスペシャルミールを頼まれていらっしゃる方が多くいらっしゃいます。スペシャルミール(特別機内食)の解説は別の機会でいたしますが、例えば糖尿病食や菜食主義者(ベジタリアン)などです。こういう特別食は前日からすでに準備されているのが普通です。アップグレードをするためには上級のクラスで再度準備しなければならないため、チェックインの時点では間に合わないのが普通です。また、予約されたクラスで用意した特別食が無駄になってしまいます。従いまして、特別機内食を頼んでいたらアップグレードの対象からはずれてしまいます。食事はエコノミーで座席だけビジネスということは機内サービス上、受け付けることはありません。

5:ナイスな人。
これも意外ですが、重要なファクターです。ェックインカウンターで勤務しているのはたいてい若い女性です。好印象をもたれれば、カードが無くても旅慣れて無くてもチャンスはあります。

自分からアップグレードをきいてくる人、それも最初からインボラ狙いの人」は駄目な人の典型例だそうです。

3人まとめてインボラ PYからCへ

数年前の年末のニューヨーク旅行の際の話です。年始の成田への帰国便において、繁忙期ということでエコノミークラスにオーバーブッキングが生じるのではと、予約段階でうすうす予想はしていました。というのも、約4ヶ月前の予約段階でエコノミーはほぼ満席で並びの座席指定が不可能であったため、家族分は値段が高くなりましたがANAのweb siteにて正規割引航空券でプレミアムエコノミーの席を購入、座席指定もしておいたからです。その時点ではプレミアムエコノミーには空席がまだ結構ありました。そもそもプレミアムエコノミーは、空きがあれば上級会員がエコノミーから無償で上げてもらう席という意味合いもあり、わざわざ購入する人は少ないはずです。また、この時期にはビジネス客が少なく、観光客が多いのでしょう、ビジネスクラスも予約段階ではまだ席が沢山残っていました。違うクラスを同時に予約できないので、腰痛持ちの私自身のビジネスクラス正規割引航空券の予約は別に行いました。よって、予約システム上では、私は一人旅と認識されていたと思います。

さて帰国の日、時間に余裕を持って行動しないと落ち着かない性分ですので、朝7時半前にはホテルを出てタクシーでJFK空港へ向かい、ターミナル7に着いたのは8時前後でした。ANAのチェックイン業務はBritish Airwaysのカウンターで同社の現地職員によって行われている様です。出発3時間前にならないと業務は開始されない様で、少し待ちました。待っている間ANAの社員らしき日本人の方が手荷物に付ける名札を配って回られていました。手続が開始され、手渡された家族分の搭乗券の座席番号が若くなっているような気もしましたが、きっとCと印字されていたはずの搭乗券をよく確かめもしませんでした。ただ、その席は皆一緒ですかと担当窓口のお姉さんに尋ね、Yesとの返事をもらったのは覚えています。窓口の担当が日本人であれば申し添えてくれたかもしれませんが、こちらが既に知っていると思ってか、そのことには言及されず、淡々と、提携するBritish Airwaysのラウンジの利用券を家族全員分渡してくれました。PYもラウンジを使えて良かったくらいにしか思わず、家族の誰も幸運に全く気が付いていませんでした。結局、機内で座席に着くときに初めて知り、家族3人はCAさんに、本当にこの席ですかと確かめたとのことです。 帰国後、コンピューターを覘くと、 ANAより【チェックイン完了】のご案内 と題して、 ※ご予約頂いたクラスが満席のため、上位クラスへアップグレードしています。 とのメールが、送られて来ていましたので、空港での搭乗手続の前から確定していたようです。 勝手に想像するに、オーバーブッキングの座席数調整のためにY⇒PYへのインボラアップグレードを行い、その結果我が家もPY⇒Cへ押し出してもらったのでしょう。Y⇒Cへアップグレードする前に、ブッキングクラスが上のプレミアムエコノミー正規割引航空券購入者からまず順にCへアップグレードしていただいたのかもしれません。帰国後webで検索してみますと、ANAさんのプレミアムエコノミー購入で片道インボラアップグレードの体験談を散見します。ブッキングクラスも優先事項にされているのであれば、繁忙期にしか旅行できない陸マイラーにとっては、とても嬉しい扱いです。

ラウンジで呼ばれてインボラ CからFへ

セキュリティーチェックを済ませ、お土産も購入し、向かったBritish Airwaysのラウンジは広く、席数も多いのでゆっくりと出来て、おにぎりやインスタント味噌汁もありました。コーヒーを飲みながら新聞や雑誌をのんびりと読んでいると、放送で名前を呼ばれたうちの1人が自分でした。何か不都合でも生じたのかとラウンジの受付に行ってみました。そこで手持ちの搭乗券と交換で、新たな搭乗券を渡していただきました。Y→PY、PY→C、C→Fと行われたであろうアップグレードの玉突きの恩恵に与ることになりました。 粗相のない様に、控えめな客になりきって、人生最初でおそらく最後になるFクラスでのフライトを静かに楽しませて頂きました。恐れ多くて機内で写真は撮りませんでした。Cクラスのスタッガード仕様のフルフラットになるシートも往路で初体験して、そのプライバシーが良く保てる造りに感心しましたが、Fクラスのシートはさらに横幅にも余裕があり快適で申し分ないものでした。食事も、頂いたワインも美味しゅうございました。何よりも、CAさんたちが、常に目配りしてくれているのが良くわかり、Cクラスとはまた別世界であることが良く実感できました。 上級会員でも無い私を選んで頂いた理由を考えてはみましたがよく分かりません。年始のフライトで、ビジネス利用のお客さんが少なく、上級会員も少なかったのでしょう。視点を変えて、ANAさんがこれからも自社便を使ってほしい人を選ぶとしたら、と勝手に想像してみました。頻回に旅行し、他の航空会社を使っている人が該当するのでしょう。たまたまその1年間は3回渡米していました。パスポート情報を読み取る際に知ることは出来るでしょう。web予約の段階でUnited AirlinesのFFPであるマイレージプラスに、今回のフライトマイルを加算するよう登録しておきました。スターアライアンス内では、そのマイレージプラスのマイル残高や、前回旅行時のUA便のブッキングクラスの情報も共有できるのか知りたいところです。 家族分と予約を別にとったので、単に一人旅と見做され、それが功を奏しただけかもしれません。チェックインが遅いとアップグレードされ易いなどの噂もあるようですが、今回はチェックイン手続き開始直後に済ませていました。同じ様にアップグレードされた年配のお方も、私達のすぐ後で搭乗手続きをされていました。


メトロポリタン美術館の入館料


2013年の冬のことです。メトロポリタン美術館を訪れるにあたって、ガイドブックの下調べもしていなかったものですから、入館料の支払いの所で一瞬悩んでしまいました。窓口で尋ねると、払う額はあなた自身で決めてくださいと言われ、まさしくこれもアメリカの寄付文化の一つかと感心して少し多めに払いました。帰国後、この方法で上手く運用できているのかと興味をもってweb siteを巡ってみると、やはり外国人から裁判をおこされたりしており、価値観の違う、事情を知らない人にとっては受け入れられない方法なのかもしれません。

当時のメトロポリタン美術館の公式web siteでは

Recommended

Adults $25
Seniors (65 and older) $17
Students $12
Members Free
Children under 12 (accompanied by an adult) Free

と記載されていますが、このrecommendedが表示が実際の窓口では分かりにくく、支払わなくても良いものを支払わされたと訴えられたりしたようです。

web siteには、さらに続けて、

To help cover the costs of exhibitions, we ask that you please pay the full recommended amount.

とも記載されていましたので、推奨金額を払って欲しい旨、美術館側の意向は表現されています。

REUTERSのweb siteでNew York’s Met museum to continue suggested admission feeと題して、2013年10月25日付けの記事の中で、

The museum says the average visitor pays about $11, and that the cost to the museum per visitor each year is more than $40, a difference it makes up with money from the city, grants and revenue from its more than $2.5 billion endowment, among other sources.

と書かれていました。大人1人当たりの支払いの平均なのか、大人やシニア、学生等も(さらに無料の子供も)含めた1人当たりの支払いの平均なのかはっきりしませんが、平均11ドルというのは皆結構払っているともとれますし、あまり払っていないともとれます。別の記事では、ニューヨーク市民は余り払わず、観光客は払っている傾向があるとも書かれていました。一方、運営コストを訪問客1人当たりに換算すると40ドル以上とのことですので、市からなどの多額のバックアップが無いと成り立っていないのも事実です。観光客としては、寄付の意味も含め気持ちよく支払いたいものですが、日本人の訪問記にはいかに安く入館したかを自慢気に書かれているものもあり、それらを見ると少し違和感を覚えます。

結局このrecommendedの表現を巡っての裁判は決着し、NEW YORK POSTのThe Met wins admission charge lawsuit, but lawyer may rack up $350Kと題する2017年2月1日の記事では

The big winner from a lawsuit against the Metropolitan Museum of Art over its recommended $25 admission charge is the plaintiffs’ lawyer — who is seeking a staggering $350,000 fee for handling a case that resulted in a nonmonetary settlement.

A Manhattan Supreme Court judge will consider the amount following a March hearing, but the museum has already signed off, calling the fee “not unreasonable” in court papers.
A New Yorker and two tourists sued in 2013 claiming the museum was legally barred from accepting admission money according to an original 1878 lease.
The settlement, reached last June, simply makes a semantic change on museum signage that will now refer to its $25 admission as “suggested” instead of “recommended.”
The three named plaintiffs will get a nominal $1,000 each for their participation in the yearslong case.
The plaintiffs’ attorney, Andrew G. Celli Jr. of the law firm Emery Celli Brinckerhoff & Abady, did not return messages for comment.

結局、原告の弁護士がしっかり稼いだようです。

最近のMETのweb siteでは、チケット購入について

If you buy tickets at a museum ticket counter, the amount you pay is up to you. Please be as generous as you can. Suggested admission is $25 for adults, $17 for seniors, $12 for students, and free for Members and children under 12.

と、記述されています。recommendedの表現を、裁判後にsuggestedに変えたのが落としどころだった様です。


MileagePlusのマイルを使いANAの国内線特典航空券を利用しました


昨年の秋、大阪から東京に向かう際、United AirlinesのマイレージプログラムMileagePlusの特典を使う形でANAを利用しました。いつもはJALの特典航空券を使うのですが、当日のスケジュールの都合からの選択でした。ITM→HNDのJAL便は昼間大体毎時0分出発であり、ANAは毎時30分の出発となっています。当初考えた時刻のJAL便では、大阪での仕事の段取りから考えると、ぎりぎりか、間に合わない状況も生じそうでした。1時間後のJAL便にすると、今度は東京での用事に間に合わない可能性がありました。30分後のANA便がその問題を解決できそうでした。MileagePlusの5000マイルで、片道の特典航空券が利用できますので、さっそくweb siteから予約しました。「united.comのご予約」と題する確認のメールが来て、すぐに「MileagePlus eTicket Itinerary and Receipt for Confirmation XXXXXX」とeTicketも送られてきました。

ネットで他の方の体験談を検索して予習してみたのですが、空港での発券には自動チェックインの機械を使えない様で、有人のカウンターに行かねばならない様です。

当日フライトの1時間10分前には伊丹空港に着き、発券カウンターに行ってみると長い行列です。しかも職員が実質一人で対応しており、列は遅々として進みません。当日の大阪での仕事は何とか早く済み、結果最初に考慮したJAL便でも十分間に合った位で、まずは最初の後悔です。ようやく順番が来て発券してもらい、その際に担当の係員に尋ねたら、自動チェックイン機でもチェックインできますとの答えでした。事前の座席指定も出来ない様ですが、eTicketにはすでに比較的前方の窓側の座席番号が記されており、発券時も同じ座席番号でした。

散々並び疲れて、出発時刻も迫ってきたため、すぐに保安検査場へ急ぎました。ここでもすごい行列です。JAL側の保安検査場では経験したことのない長蛇の列です。出発時間が迫り、搭乗する羽田行きの乗客を別レーンで通し始めました。検査を終え、出発掲示を見ると、遅延と出ていました。搭乗口辺りも人込みです。乗るべき飛行機は既に駐機していますが、機体整備のため遅延、詳細はまた追って伝えるとの放送があり、その後もその案内の時刻が先送りされ、最終的に約1時間の出発遅延となりました。

少しでも羽田に早く着こうとANA便にしたものの、選択を回避した出発が30分遅いJAL便の方が先に着く結果となりました。しかも伊丹空港で長い列に2回も並ぶことになり疲れてしまい、散々な初利用でした。

後日改めてチェックインの方法をANAに問い合わせてみると、「016から始まる13桁のeTicket予約番号が『国際線予約番号』となり、その番号を自動チェックイン機で入力すれば良い」との回答でした。以降、まだ実際には試していません。


非常口座席 今昔


バックパッキングで旅行していた頃は、もちろん格安航空券でした。カウンターで指定されたエコノミーの後ろの方の席に文句も言わず座っていました。仕事で時に海外へ出かける様になると、United Airlinesの正規割引航空券を主に使うようになりました。座席も「非常口座席」を空港のカウンターでリクエストしてみる様になりました。足を伸ばして座る事が出来ること、それだけで至福でした。運良く?空いていれば、その席にassignしていただけました。その際には、緊急の場合は乗務員の英語に従い、脱出の介助ができるかどうかを常に確認されました。当たり前のことですので、それが航空業界の常識だと信じていました。理由は分かりませんが、意図してこれらの席がブロックされているのか、カウンターでassignしてくれない時も勿論ありました。その時は飛び立って暫くしてから、乗務員に席を移動して良いか尋ね、承諾をもらって移動したこともあります。これらはずいぶん昔の話です。今では、非常口座席も上級会員にしか割り振らないとか、追加料金の対象にしている航空会社もあるようです。

2006年にJALのLAX→KIX便に乗った時(その後この路線は廃止、最近また復活しました)、非常口座席に小さな子供連れの母親が座っていて驚きました。緊急の場合、乗客の脱出を手助けできる人のみが座るべき座席に、まだ小さな子供及びその母親を座らせないのは世界基準だと思っていましたので、帰国後JALに問い合わせをしてみました。木で鼻を括った様な回答があったのみでした。国土交通省が何も決めていないので、JALもそのような扱い、制限をしない、とのことでした。非常時の安全確保について社内でも議論されることはなかったのか、航空会社としての安全に対する姿勢に疑問を感じました。

年月が経て事情が変わるとJALもようやく2009年から対応する様になり、現在はJALのweb siteには以下の様に記されています。

 国土交通省の通達により2009年4月1日から、お客さまの安全を確保するため、非常口座席には以下のすべての項目を満たすお客さまに限りご着席いただくこととなりました。(2008年7月3日通達発行、2009年4月1日施行)

当該通達に従いまして、非常口座席をご希望されるお客さまには以下の内容の確認をさせていただきます。ご協力をお願いいたします。

1.満15歳以上の方(15歳未満の方はご指定いただけません)
2.ご搭乗に際して付き添いの方や係員のお手伝いを必要としない方
3.航空機ドアの開閉等、緊急脱出の援助を実施することができる方
4.脱出手順の案内および乗務員の指示を理解し、他のお客さまへ口頭で伝えられる方
5.緊急脱出時に同伴者の援助をする必要がない方
6.緊急脱出の援助を実施することに同意する方

迅速な脱出の援助をしていただくため、非常口座席に着席されるお客さまには、万一の場合、客室乗務員の指示のもと、緊急脱出時の援助をお願いいたします。
なお、当てはまらない項目がある場合、非常口座席の着席ができません。出発当日、空港、客室においても同様の確認をさせていただきますがご了承いただきますようよろしくお願いいたします。

 


ペルー、ボリビア、ブラジル1988 気の向くままに一人旅


遺跡を訪ねて、中国、ネパール、インドと旅した後、仕事に就く前の最後のチャンスに、アルバイトで貯めていたお金をつぎ込んで、南米に旅立ちました。世界遺産がまだ大きく取り上げられる前でしたが、一番の興味はマチュピチュでした。サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」を小学生の頃に耳にしてからの憧れの南米です。ペルーとボリビアをメインに、ガラパゴス島かイースター島もと欲張って考えてはみたものの結局は無難なブラジルを追加することにしました。予防接種記録が必要とされる国もあったので、黄熱病の予防接種も受けての出発です。ペルーではインカの遺跡とアマゾンのジャングルツアーがメインで、チチカカ湖まで進めばボリビアには辿り着けるか位の心積りでした。ブラジルは景観と街を訪ねる旅となり、イグアスの滝は必須でした。大都会のサンパウロとリオデジャネイロ、地方都市のサルバドールの組み合わせにしました。

格安チケットを探し、バックパッキングでの旅でしたが、中国、インド、ネパールの旅行でほぼ自分なりの旅の方法が決まってきていました。何ヶ月もかけての旅ではないので、効率を優先し、飛行機は使える限り使いました。宿を見つけるのも結構な手間になりますので、1ヶ所に数日滞在しその周辺を訪ねるやり方に自然となっていました。宿の予約は一切しませんでした。部屋に荷物を置いて動き回るので、ドミトリーは使わず、安宿で鍵のかかる部屋を探しました。周辺への足は、ペルー、ボリビアでは地元の小さな旅行会社のツアーを利用し、ブラジルの街中では路線バスを使いました。治安情勢も当時と今とでは違うでしょうが、リスク回避は最優先で、路線バスを使う際には必ずバスの前方、運転手のすぐ側にしか乗りませんでした。

この旅も狭義のバックパッカーとは違う旅ですが、自身にはこれが最も楽しめる形にすっかりなっていました。もう30年近い前の話ですので、概要のみ記します。

Day 1
格安チケットのため大阪伊丹空港から成田経由でロサンゼルスまで。当時全日空が路線を開設したばかりで値段が安かったのです。ロサンゼルスはダウンタウン近くの安モーテルで1泊しました。南米までのチケットをピックアップすべき旅行会社がダウンタウンにあったのがその理由です。8年後にそのロサンゼルス近郊に住むことになろうとは想像もしませんでした。

Day 2
LaxからPeruの首都Limaまでブラジルの航空会社Varig航空で飛びました。Varigを選んだのはLax→Lima→Rio→Laxの国際線とともにBrasil国内の数本のフライトに使えるパスが買えたからです。Limaには深夜到着ですので空港でそのまま夜を過ごしました。街に出るよりは空港内の方が安全と考えました。結構な数の人が空港内で夜明けを待っていました。

Day 3
朝早い便、7時頃の便でLimaからCuzcoへ飛びました。飛行機はFaucett航空で、これも4本のフライトに使えるパスを購入しておきました。Lima→Cuzco→Lima→Iquitos→Limaと一応予約は入れておきましたが、後々Cuzco→Limaはキャンセルすることとなりました。 Cuzcoはとても標高が高い所に在りますので睡眠不足の体にはきつかった覚えがあります。宿を見つけてとりあえず昼過ぎまで寝て、疲れを少しでもとることにしました。目が覚め、身体ならしに街外れにあるSacsayhuamanの遺跡まで散歩しました。

Day 4
午前中は市内を歩き回ります。小さな街ですのでガイドブック片手にのんびり歩いて回ることができます。午後から小さなマイクロバスで回るツアーを前日に予約しておきました。Sacsayhuaman、Puka Pukara、Tambomachai、Quenkoの遺跡を回ってくれます。ツアーの客層は主にペルー人のようで、ガイドは英語とスペイン語を話してくれますが、英語の説明を聞く客は私のみです。

Day 5
いよいよMachu Picchuに出発です。Ollantaytamboまでバスで行って列車に乗り換えます。今は外国人専用の素晴らしい客車も走っている様ですが、当時はトイレが汚すぎて使えない、そんな客車でした。その列車で麓の駅まで行って、そこからは曲がりくねった道を登っていくバスに乗り換えです。遺跡で、しばし散策です。小学生の頃からの期待を裏切らない素晴らしい景色でした。帰りは来たルートを帰りますが、列車でそのままCuzcoまで帰りますした。

Day 6
また前々日に予約しておいた小さなバスで回るツアーです。Pisacの青空市場、Ollyantaitamboの遺跡、Chincheroの市場などを回りました。

Day 7
CuzcoからやはりBoliviaに陸路で行くことにし、まずTiticaca湖畔のPunoまで列車で移動です。朝出て一日がかりで夜にPunoに到着しました。途中通過する最高点は海抜4315メートルです。Punoには暗くなってからの到着ですので、少し宿探しに苦労しました。

Day 8
午前中はPuno市内散策です。ここも小さな街ですので歩いて回れます。午後はバスでSillustaniの遺跡に出かけました。荒野にある寂しさを誘う遺跡です。宿の主人にBoliviaの査証の取り方を教わり、お願いすることにしました。入国には査証は必要でしたが、ボリビアにたどり着くか分からず、また現地で何とかなるとの話もありましたので、日本では用意していませんでした。

Day 9
Titicaca湖の探検に出かけました。葦の浮島で有名なUros島とTaquile島観光です。Uros島は完全に観光地と化しています。Taquile島では船を降りたら階段を登って勝手に散策です。Titicaca湖を360度望める場所に座ってただゆっくりと時間を過ごすのも良いものでした。

Day 10
PunoからBoliviaの首都La Pazまではバスで移動でした。途中国境の手前の街Copacabanaでバスを乗り換える必要があります。湖をバスが船にのって渡るところがあります。夕刻にようやくLa Paz到着です。標高が高いので結構寒く、宿を探すときは暖房が効くかを確認しました。

Day 11
La Paz市内散策です。沢山の博物館がありますので、これらを訪ねて回りました。Museo National de Arte、Museo del Litoral Boliviano、Museo de Metales Preciososなどです。

Day 12
Tiahuanaco遺跡に出かけます。午後はValle de la Lunaにも行きました。 本来はCuzcoからLimaに戻る予定でしたが、Cusco→Puno→La Pazと東進しました。Cuscoまで陸路戻るには時間がないので、La Paz→Lima間のボリビア航空Lloydo Aereo Bolivianoのフライトを急遽購入しました。Faucett航空のCusco→Limaをキャンセルしてしまうと、その先のLima→Iquitosも勝手にキャンセルされてしまうのではという点が気がかりでした。Lima→Iquitosは搭乗する旨リコンファームの連絡は入れましたが、空港で実際に手続きするまでは不安は拭い去れませんでした。勝手にキャンセルされることなく、大丈夫でした。

Day 13
La Paz→Lima間は前述のボリビア航空Lloydo Aereo Bolivianoでチチカカ湖の上を飛び、さらにLimaからIquitosまで、もともとの予約を使ってFaucett航空で移動です。Iquitosの空港を出た所にはJungle Tourの客引きが沢山待っています。その中から一つの旅行会社Queen Adventure社のTourを選びました。とりあえずこの夜はIquitos市内のホテルを探して宿泊です。

Day 14
2泊3日のJungle Tourに出発です。港からモーターボート程度の船で1時間余り、川岸で船を降りてしばし歩くとキャンプ地に着きました。キャンプ地といってもいくつかの建物を備えた、少しだけ文明的なものです。シャワーは水シャワーです。電気はありません。

Day 15
昼間はジャングルの中の散歩やカヌーで細い支流を探検です。夜は大毒蜘蛛タランチュラを探しにジャングル散歩に出かけました。客は個人客計3人だけで、ガイドを交えて、夜は酒宴で更けていきました。

Day 16
二日酔いの頭をかかえて近くの漁師の家まで散歩です。獲った魚などみせてもらいました。その後Limaへ向けて出発です。Faucett航空です。

Day 17 & Day 18
Lima市内散策です。多くの博物館などがあり一つ一つ訪れて行きます。それぞれ結構時間かかりました。

Day 19
Pachacamacの遺跡までバスで出かけました。あまりに広大というかゆっくり歩いて回るといった遺跡ではなさそうです。

Day 20
せっかくここまで来たのだからNascaの地上絵も見逃せば後悔するという気持ちになり、大枚はたいて日帰りすることにしました。Limaの空港からセスナでNascaまで、そこでもう一度飛行機乗り換え地上絵を真上から見学です。この時の昼食は現地のセスナでの観光が済んでからにしろというアドバイスの意味がよくわかりました。地上絵が良く見えるようにセスナは右へ左へと旋回を繰り返し、嘔吐一歩手前といった状態です。飛行機を降り昼食をとって、小さな博物館見たりして、またLimaまで戻りました。 深夜のVarig航空でPeruを後にしてBrazilに出発です。  PeruではCuzcoの高地と、Iquitosの熱帯雨林、Nascaの砂漠地帯と違った気候の場所を楽しむことが出来ました。Boliviaは最近ウユニ塩湖がテレビ番組でもよく登場するようになりましたが、当時はそこまで足を延ばす時間もお金もありませんでした。La Pazの街中と周辺の遺跡だけでも十分楽しめました。食事もあまり違和感なく美味しく食べていました。特に少し油と塩を入れて炊いたご飯の味を気に入って食べていました。またロモサルタードLomo Saltadoは焼肉定食といった感じで食べやすかった覚えがあります。

Day 21
Rio de Janeiroで乗り換えSalvadorまで一気に行ってしまいます。Africaから人々が奴隷として連れてこられた港町Salvadorはバイーア地方の中心都市であり、African-Brazilianの文化を知ることができるAfrica系の人々の街です。湿気もすごく、旅の疲れがでてきていたので2泊の予定を1泊に変更することにし、宿を決め、Valigで予約変更の手続きをした後はとりあえず街の散策です。この街は崖の上と下の2つからなっており、エレベーターで行き来できます。

Day 22
Sao Pauloに飛行機で移動です。日本人街の近くで宿を探し久々の日本食も食します。

Day 23 & Day 24
Sao Paulo市内散策です。Placa de Se, Catedral Metropolitanas, Instituo Butanta, Museu de Arte de Sao Paulo, Museu Lasar Segall, Museu Paulista, Parque da Independencia, Parque Ibirapuera, Museu de Arte Moderna, Bairro Oriental, 日本移民資料館などを足早に見て回りました。

Day 25
Sao PauloからFoz do Iguacuへ飛行機で移動します。宿を探して荷物を下ろした後は早速Brazil側の滝に行きます。宿をバスターミナルのすぐそばにとったので、ここでの路線バスでの移動にとても便利でした。

Day 26
Itaipuダムを見に行きます。世界最大?のこのダムはさすがに大きいです。

Day 27
Argentina側の滝を見に行きます。ここでも路線バスを乗り継いでいきます。悪魔ののど笛を覗きこむ位置にある展望台からの眺めもすばらしいものです。途中で見ることのできる滝の風景も綺麗です。

Day 28
Paraguayの街Puerto Pres Stroessnerへ行ってみました。午後飛行機でRio de Janeiroへ移動しました。

Day 29 & Day 30 & Day 31
Rio de Janeiro市内散策です。Morro do Corcovado 両手を広げたキリスト像が立つコルコバードの丘とPao de Acucar ぽつんと突き出た岩山は眺望がとても良いです。Museu Nacional de Belas Artes, Museu Historico Nacional, Museu Nacionalなどの博物館なども見て回ります。Estadio Maracana マラカナスタジアムはブラジルサッカー場の代表的存在で、2016年のリオオリンピックの開会式などが行われた場所です。フラメンゴの試合を見に行きましたが当時の大エース、後の日本代表監督となったジーコは故障欠場でした。 市内の移動は、専ら路線バスでした。地図をよく見ておき、バス停では乗りたいバスの番号をよく見て手を上げてつかまえ、降りる場所も言葉がよく分からないので周囲をキョロキョロして判断しました。唯一のトラブルがそのサッカーの試合の帰りに起きました。夜遅くでしたが、スタジアム前から路線バスに乗りました。イパネマ方面へ帰るはずのバスに乗り、終着点に着いたのですが、そこは全く違う場所でした。バスの行き先表示が最初から間違っていたのでした。深夜に近い時間に、知らない場所に放り出された同じ境遇のブラジル人(おそらくリオに詳しくない地方からの人達だったのでしょう)が何人もいて、皆で運転手に怒りをぶつけていました。

Day 32
Laxへ向けて出発です。さらに乗りついで、成田経由で戻ってきました。偶々同級生の一人と成田空港で出会いました。彼もブラジルを旅していたとのことでした。

スペイン語圏のPeru、Boliviaからポルトガル語圏のBrazilへ移動したとき、空港でのポルトガル語でのアナウンスで違う国に移動したと実感した覚えがあります。ボサノバのポルトガル語の響きが気に入り、帰国してから沢山のCDを買いました。


中国1986 ネパール、インド1987 バックパッカーとフラッシュパッカー


中国への個人旅行 1986

1980年代後半、学生時代に出かけた最初の海外旅行の行先は中国でした。中国への個人旅行がようやく可能になった頃です。ビザの関係から、香港から広州へ団体旅行で入る形を取り、以降は各個人が自由に旅行するというものでした。「地球の歩き方」を手に、「格安航空券」を使って旅する「バックパッカーもどき」のデビューでした。

広州から西安へ飛行機を使い、そこから鉄道で西安→洛陽→鄭州→上海と移動することにしました。バックパッカーとは、別の意味では、移動手段と宿の確保の連続です。宿の確保はまだしも、鉄道のチケットの確保は想像以上の混沌の中でした。ようやく窓口に辿りついても「没有」の一言で終わりです。目的のチケットの確保には多大の時間と労力を費やしました。正統派?バックパッカーからすればそんな事は当たり前と言われそうですが、限られた時間で旅行をする身にはこの時間は節約したいと思いました。宿泊も正統派?バックパッカーにはこれまた怒られますが、気ままに旅行したいのに他人に気遣うドミトリーは避けたく、質素ながらも鍵のかかる部屋に泊まりました。盗難などのトラブルも避けたい意味もありました。

インド、ネパールへの一人旅 1987

中国から戻ると、すぐに次の目的地への計画です。気持ちはインド、ネパールしかありませんでした。翌年の春休みの18日間が、使えるすべてでしたので、主な移動手段はすべて飛行機にしました。格安航空券は大阪→香港(1泊)→カトマンズの往復です。ネパール国内線の、カトマンズとポカラ間の往復の航空券もとっておきました。カトマンズから先は、カトマンズ→バラナシ→カジュラホ→デリー→ボンベイ(ムンバイ)→オーランガバード→マドラス(チェンナイ)→マドゥライ→カルカッタ(コルカタ)→カトマンズをIndian airlinesの現地のオフィスで繋げてもらいました。外国人向けの周遊航空券のカテゴリーのものを使った様な記憶があります。荷物はバックパッキングで出かけ、宿は行き当たりばったりの安宿泊まりでしたが、自身でも狭義のバックパッカーとは違うと思っていました。

フラッシュパッカーとバックパッカー

最近、「フラッシュパッカー」なる言葉があることを知りました。定義としてはバックパッカーよりも少し金銭的に余裕のある旅行者を指すようです。『基本的に格安旅行だが、ドミトリーは嫌なので少し宿代にお金を出す、あるいは時間節約に飛行機を移動手段に使うのにお金を使う。』のも含まれるなら、私の学生時代のこれらの旅のスタイルもこの言葉に近いのでしょう。スマホなどを片手にネットの情報を得ながらという定義であれば、もちろん程遠いものですが。

個人でみれば、年を取れば旅に使える日数やお金も変わり、旅の方法も変わっていきます。社会全体でみた時に、大学生など若者にバックパッカーが流行らなくなった結果、出てきた言葉でしょうか。