ネパール、インドのお米の閑話 Taichung 65 – Mahsuri – Ponni

事の始まりは Asha さん @ashachankaeru が投稿された Japonica Rice(Tai chin Rice)の写真です。Tai chin Rice とは何ぞやと、その筋の方で話が盛り上がり、ネパールで古くからある一般的なお米の銘柄 マスリ Masuli (or Mahsuri) が、タミルのミールス米として食べられているポンニ Ponni と同じ交配種ではないかというところまで話が続きました。

1929年ジャポニカ米同士を掛け合わせ台湾の気候に合うように作られた「台中65号」、インドに渡り日印型品種交配計画で交配により新たな品種を目指すも芽が出ず、コロンボ計画のもとマレーシアへ渡った日本人研究者によって改良が加えられ「Mahsuri(Masuli)」が1965年に誕生。Mahsuri は 1970年代初めにはネパールやインドでも栽培されるようになりました。当時からインドでは Ponni とも呼ばれていた様です。南インド料理で頂く機会もあるポンニ米、起源の一部はジャポニカ米です。

マスリとポンニは同じものか、 web を彷徨ってみました。

「さかのぼるとMasuli米はインドで交配された」とアジアハンター小林さんがお示し頂いた、山川寛他「マレイシアにおける二期作用水稲品種、マリンジヤ、マスリ、バハギヤの育成に関する研究」熱帯農業 21 (1) : 40-42, 1977 には

マリンジヤ、マスリの育種材料は、FAO の日印型品種交配計画 (Indica-Japonica Hybridization Programme) によりインドで交配された組み合わせで、(中略)マスリは育成当初いもち病抵抗性に弱点がみとめられたことから、抵抗性遺伝因子の導入を戻交雑によって試み、いわゆる”改良マスリ”を得た。

と記され、組み合わせは (Mayang Ebos 80 × Taichumg 65 (台中65号)) × Mayang Ebos 80 と表記されています。Mayang Ebos 80 と Taichumg 65 を交配させたものに、さらに Mayang Ebos 80 を戻し交配させることにより、日本人の研究者が中心となってマレーシアで開発し、1965年1月に発表したものです。

Wikipedia などでは、Ponni rice は、1986年に Tamil Nadu Agricultural University で開発されたというのが定説の様に記されています。ポンニがマスリと別の交配方法を経て同大学で完成されたものであれば、両者は別物という事になります。

White ponni の Parentage については EXPERT SYSTEM FOR PADD の Paddy Varieties of Tamil Nadu に、Taichung 65/2/Mayang Ebos-80 と記されています。他には Taichung 65/Mayang Ebos-80/2 と表記されているものもあり、どのようにこの2種が実際に Tamil Nadu Agricultural University で交配、開発されたかを調べようとしましたが、辿り着くことが出来ません。

The International Rice Research Institute 1972 による『rice bleeding』には

The Japanese during the war introduced Bir-me-fen from Taiwan (called Pebifun in Malaya) in Province Wellesley. After the war the japonica x indica selection work in the FAO project, intensively carried out with the help of Japanese breeders, resulted in the release of Malinja and Mashuri for the second crop area. Mashuri is now being grown in Andhra Pradesh in India.  

と記され、Mashuri は 1972年には既にインド(少なくともアンドラプラデシュ州)で栽培されていた事になります。

RICE BREEDER の MILESTONE OF RICE VARIETIES IN TAMIL NADU の項目にも、

POPULAR INTRODUCTIONS IN TAMIL NADU
Ponni – Mahsuri (1972) Fine grain

と、1972年には Ponni – Mahsuri が既にタミルナドゥ州に導入されていたことを示しています。この表記を見ると、Ponni イコール Mahsuri と捉えることもできます。

International Rice Research Institute (IRRI) が刊行するニュースレターの、1978年の”Development and Evaluation of Derivatives of Mahsuri (Ponni) ” には、

Mahsuri is grown on 50 to 60% of the paddy land during the monsoon season (Aug.-Sept. to Feb.) in Pondicherry state and in South Arcot, North Arcot, Chinglepet, and Tanjor districts of Tamil Nadu.  Mahsuri (renamed as Ponni in this region) is popular with farmers because of its fine grain and its medium growth duration that facilitates culture in the late monsoon season.
と、タミルナドゥのこの地域で Mahsuri が Ponni に名前が変わったと記されています。
アジアハンター小林さんに着目していただいた、Mahsuri の Parentage  Mayang Ebos 80*2/Taichung 65 であることも記していた記事は

→「ダルバートのバートはバスマティ米という意味ではありません」

おまけの写真は西日本の田んぼで作付けされている、高温登熱性に優れ、良食味・多収、縞葉枯病に抵抗性で穂いもちにも強い「恋の予感」です。

 

 

 

ネパールでも新型コロナウイルス SARS-CoV-2 感染症 COVID-19 の感染拡大

新型コロナウイルス SARS-CoV-2 感染症 COVID-19 のインドでの感染爆発に続き、ネパールでも大変な様相になってきました。

COVID-19 Data Repository by the Center for Systems Science and Engineering (CSSE) at Johns Hopkins University によると、
2021年4月30日の 1日の新規感染者数は インドが約40万人、ネパールが約5千7百人と報告されています。日本が約4千7百人です。ネパールの人口は、日本の 4分の1以下ですので、人口あたりの感染者数でみると、ネパールは既に日本の約 5.3倍になっています。

2021年4月25日付け Kathmandu Post の「People ignoring social distancing despite spike in infections」によると、

The government on Monday had also decided to restrict gatherings of over 25 people at festivals, weddings, other life rituals and funerals. However, as the wedding season is here, no one appears to be following the restriction order and at the same time there are no officials to monitor if the order is being observed.

政府はようやく、お祭りや、結婚式、葬式などで 25人以上集うことを禁止することを決めた様ですが、結婚式シーズンを迎え、人々は従いそうにはなさそうです。

各種ニュースでは、3月末のホーリーのお祭りの際のインドでの状況が伝えられました。NEWS9 live の動画「Holi celebrations across India」によると、

Holi festival was celebrated with great pomp and fervor in several parts of the country. But public celebrations were banned in several states and limited celebrations were allowed in few states due to the rise in the COVID-19 number cases.

ホーリーを公共の場で祝う事を禁止した州がありましたが、感染予防対策とは程遠い状況で、華やかに激しく祝われたところもあった様で、その様子を動画で見ることが出来ます。その後、4月に入り、インドでの感染爆発が続いています。

ネパールでも、若者が中心となって警告を無視し、マスクを着用せず、ソーシャルディスタンス関係なしに密に集っている様子が、2021年3月28日付け onlinekhabar の「Kathmandu’s Holi revellers flout Covid-19 safety measures」の記事で報じられています。

As Nepalis across the country are celebrating the Holi festival on Sunday, hundreds of youth gathered in Basantapur of Kathmandu for a celebration.

Although the Ministry of Health and Population has already warned the nation about a possible spread of the next wave of the Covid-19 pandemic and concerned authorities have urged the public to celebrate the festival within the family only, the youth gathered in the public open space and partied together.

その後も2021年4月14日付けの Himalayan Times の「India’s new coronavirus infections hit record as Hindu devotees immerse in Ganges」に記されるように、

Still, hundreds of thousands of devout Hindus gathered to bathe in the Ganges river on Wednesday, the third key day of the weeks-long Kumbh Mela – or pitcher festival.

4月のクンブメーラのお祭りの際にも多くの人々が密に集いました。

2021年4月26日付け Kathmandu Post の「High risk of Covid spread in absence of quarantine centres」では、

Thousands of migrant workers returning to Nepal from India via various border points in Lumbini Province are making their way home to different cities and villages across the country. Unlike last year when the local and district governments in Lumbini Province had made quarantining mandatory for returnees, this year there are no such provisions.

と記され、インドへ出稼ぎに行ってたネパール人が陸路で帰国する際に、以前は行われていた 2週間の隔離など無しに素通りであることが指摘されています。また入国に際する PCR検査も十分行われていない様です。インドで大流行している変異株が、素通りでネパールに流れ込むのであれば、ネパールの今後の感染者数の爆発的な増加は火を見るよりも明らかです。

中国1986 ネパール、インド1987 バックパッカーとフラッシュパッカー

中国への個人旅行 1986

1980年代後半、学生時代に出かけた最初の海外旅行の行先は中国でした。中国への個人旅行がようやく可能になった頃です。ビザの関係から、香港から広州へ団体旅行で入る形を取り、以降は各個人が自由に旅行するというものでした。「地球の歩き方」を手に、「格安航空券」を使って旅する「バックパッカーもどき」のデビューでした。

広州から西安へ飛行機を使い、そこから鉄道で西安→洛陽→鄭州→上海と移動することにしました。バックパッカーとは、別の意味では、移動手段と宿の確保の連続です。宿の確保はまだしも、鉄道のチケットの確保は想像以上の混沌の中でした。ようやく窓口に辿りついても「没有」の一言で終わりです。目的のチケットの確保には多大の時間と労力を費やしました。正統派?バックパッカーからすればそんな事は当たり前と言われそうですが、限られた時間で旅行をする身にはこの時間は節約したいと思いました。宿泊も正統派?バックパッカーにはこれまた怒られますが、気ままに旅行したいのに他人に気遣うドミトリーは避けたく、質素ながらも鍵のかかる部屋に泊まりました。盗難などのトラブルも避けたい意味もありました。

インド、ネパールへの一人旅 1987

中国から戻ると、すぐに次の目的地への計画です。気持ちはインド、ネパールしかありませんでした。翌年の春休みの18日間が、使えるすべてでしたので、主な移動手段はすべて飛行機にしました。格安航空券は大阪→香港(1泊)→カトマンズの往復です。ネパール国内線の、カトマンズとポカラ間の往復の航空券もとっておきました。カトマンズから先は、カトマンズ→バラナシ→カジュラホ→デリー→ボンベイ(ムンバイ)→オーランガバード→マドラス(チェンナイ)→マドゥライ→カルカッタ(コルカタ)→カトマンズをIndian airlinesの現地のオフィスで繋げてもらいました。外国人向けの周遊航空券のカテゴリーのものを使った様な記憶があります。荷物はバックパッキングで出かけ、宿は行き当たりばったりの安宿泊まりでしたが、自身でも狭義のバックパッカーとは違うと思っていました。

フラッシュパッカーとバックパッカー

最近、「フラッシュパッカー」なる言葉があることを知りました。定義としてはバックパッカーよりも少し金銭的に余裕のある旅行者を指すようです。『基本的に格安旅行だが、ドミトリーは嫌なので少し宿代にお金を出す、あるいは時間節約に飛行機を移動手段に使うのにお金を使う。』のも含まれるなら、私の学生時代のこれらの旅のスタイルもこの言葉に近いのでしょう。スマホなどを片手にネットの情報を得ながらという定義であれば、もちろん程遠いものですが。

個人でみれば、年を取れば旅に使える日数やお金も変わり、旅の方法も変わっていきます。社会全体でみた時に、大学生など若者にバックパッカーが流行らなくなった結果、出てきた言葉でしょうか。