ホーチミン・ルート従軍記 ある医師のベトナム戦争 1965 – 1973 レ・カオ・ダイ著 古川久雄訳 岩波書店

ホーチミン・ルート従軍記
ある医師のベトナム戦争 1965 – 1973

レ・カオ・ダイ著 古川久雄訳
岩波書店
2009年4月17日 第1刷発行

ベトナム戦争の報道や出版の多くは、というより殆どすべてが「南」側からのものでした。報道規制が敷かれなかったため、南側の戦闘行為等が世界で批判の対象となり反戦運動に繋がりました。他方、「北」側からの報道や出版は皆無で、後に明らかになった解放戦線や「北」正規軍の秘密処刑や、住民に対する無差別の殺戮の事実は伏せられたままで、白日に曝されることはありませんでした。長い年月が経過し亡命で自由な立場となった元解放戦線幹部の証言を待つしかありませんでした。→ 「裏切られたベトナム革命 チュン・ニュー・タンの証言」

本書は「北」の一従軍医師の立場で記されたベトナム戦争の体験記、という意味で貴重とされます。行軍の際に当然地元民に無理を強いたり、場合によってはそれ以上の行為があったことは想像に難くありませんが、「北」や組織にとって都合の悪い事は記されていません。

特別任務「グループ84」に選抜された筆者たち医療チームが、設備や物資の無い野戦病院で、なんとか医療を成り立たせるためにレントゲンをはじめとして検査装置の組み立てや診療体制の構築から、いかに緊急手術等の医療活動を行ったかについては、関心と驚きで読みごたえがあります。

著者レ・カオ・ダイ氏の経歴は、夫人が日本語版への序文で紹介されています。

ダイ医師はハノイの医学大学に学び、一九四六年に卒業、八月革命後最初の卒業世代でした。卒業後、陸軍に入り、三〇八師団第八八連隊の筆頭軍医として北部ラオスやホアビン、ハ・ナム・ニン作戦に従軍しました。医学面では胸郭手術にすぐれ、一〇八、一〇三陸軍病院や陸軍医療研究所で教鞭をとりました。一九六六年に夫は中部高原戦線へおもむき、深いジャングルの中の中心的な病院で務めを果たしました。

ホーチミンルート(Ho Chi Minh Trail ホーチミントレイル)は、「北」が物資や人員を解放戦線へ届けるように、網の目のような交通路を、ベトナム国内の北緯17度線を横切るのではなく、ラオスやカンボジアを通るルートで確保したものです。一方で海上輸送の拠点としたカンボジアのシアヌークビルの港からカンボジア国内を通る Sihanouk Trail シアヌークトレイルも重要な役割を果たしたとされます。

巻末で、ベトナム史が専門の古田元夫氏が、これら補給路の病院での医療活動の意義を解説されています。

ベトナム戦争で米国は、ベトナムの革命勢力にその補給能力を超えた打撃を与えるという「消耗戦略」を、その基本的な戦略とした。革命勢力の軍事要員の「消耗率」は、この米軍の戦略の成否にかかわっていた。ベトナム人民軍の医療活動は、ベトナム戦争で多大な犠牲をしいられつつも、それを南ベトナムに展開している革命側兵力の大幅な減退という事態にはつながらない水準に制御する上で、大きな貢献をした。本書で描かれたレ・カオ・ダイのホーチミンートレイルの病院での活動は、このような意味で、ベトナム戦争の帰趨に大きく関わっていたのである。