ヒマラヤの寺院 ネパール・北インド・中国の宗教建築 佐藤正彦著 鹿島出版会

ヒマラヤの寺院
ネパール・北インド・中国の宗教建築

佐藤正彦著
鹿島出版会
2012年1月30日 第1刷

工学部建築学科の教授であった著者が、1982年からネパールを何度も訪れ寺院建築の詳細なフィールドワークを行い20余年の研究成果の論文をまとめたものが本書です。

構成は
プロローグ なぜ寺院建築なのか
第一章 ネパールの寺院建築
第二章 ネパールの建築の源流を探る―北インド建築
第三章 中国建築とのつながり
第四章 カトマンズの寺院建築
第五章 パータンの寺院建築
第六章 バドガウンの寺院建築
付録資料
エピローグ
からなり、旧王宮、広場、共同水場、休憩所、住居、仏教僧院、郊外の寺院、神々と仏、寺院と動物、寺院と植物、市場、職人街、教育事情、伝統建築の崩壊、修復の現状、とそれぞれ題された 15のコラムが挟まります。

第一章で、ヒンドゥー教と仏教、ラマ教の遺構が混在するというネパールの特徴について、人々の信仰を紹介されています。

ネパールでは人によって、それぞれの寺院の重要度、寺院を参拝する回数、寺院に祀られたそれぞれの神の地位、位置づけや権力など、さまざまな特徴により寺院の意義は異なる。動物の神パシュパティナートとして現れたシヴァ神は最も神聖なヒンドゥー教の神であるが、このシヴァ神は違った場所では別の意味をもつ。つまり、他所に祀られたシヴァ神がたとえパシュパティナートの像に似ていても同じ効力を必ずしもふるうわけではない。人々は、それぞれの諸願成就のために、それをかなえてくれる神々を求めるのである。

神仏混淆についても、パシュパティナート寺や

パシュパティナート寺には、ネパールの宗教的な意義を考える場合に、非常に興味深い現象がある。パシュパティナート寺は、一年のうちのたった一日のみではあるが、ご神体をチェンジするのである。(中略)パシュパティナート寺はカトマンズ盆地内のヒンドゥー教徒たちの聖地であるが、その本尊のシヴァ・リンガは、一年のある一日だけ仏の冠を被せられ、仏教徒たちの礼拝を受ける。これによってシヴァ・リンガの世界観は、最も直截的な方法で仏教の世界観に逆転されてしまう。この不思議な伝統は、二つの世界観を表裏一体の関係に統合する。このような事柄はネパールでもほかに例がない。

セト・マチェンドラナート寺を例に分かりやすく解説があります。

セト・マチェンドラナート寺は、仏教徒がセト・マチェンドラナートを観世音菩薩と考え、ヒンドゥー教徒は恵みの雨をもたらすシヴァの化身と考え、両教徒から崇められている。アーチ型の入口は二頭の金属製の獅子で守られ、中庭の高い石柱の上には天蓋付きで小さな仏陀像が祀られ、寺院の正面入口の方立の足元礎石上に観世音菩薩立像がある。礎石に獅子頭も付く。中庭には数多くの小仏塔や小祠もある。これらのことからも寺が仏教寺院であることを十分に知ることができるが、主祭神は雨とモンスーンの神マチェンドラナートで、ローケーシュヴァラという名を介して観世音菩薩がシヴァ神とつながっているので、ヒンドゥー教の神でもあるのだ。

建築学の観点からの本書での記述を簡単にまとめると

【平面構成】カトマンズ、パータン、バドガウンなどの寺院の一階平面は、様式(形式)や規模などによって IからⅨ類の九つに分類されるとのことで、各論の項ではすべての寺院の平面図が添えられています。

【構造デザイン・材料】寺院建築は、構造デザインや材料からみて大きく四つに分類されます。
『シカラ(高塔)様式建築』石造に多く残り、カジュラホーなどで発展した様式で、それらインドから直接強く影響を受けた建築と考えられ、パータンのクリシュナ寺に代表される。
『ネワール・パゴダ様式建築』金銀細工をはじめ木彫りなどに優れた技術を持つネワール族が造営に携わってきたもので、最も屋根数の多い五重屋根の寺院はニャタポーラ寺。
『イスラーム様式建築』北インドのムガル帝国以降の影響を強く受けた、レンガ造の平屋建てに多く、バグワティ寺やパシュパティナート寺に代表される。
『ストゥーパ(仏塔)様式建築』インドの土饅頭型とは異なり、何世紀もかけてブッダと仏教原理を表現する複合的なものに進化したもので、スワヤンブナート仏塔とボーダナート仏塔がその代表。

【装飾】ピーコックウインドーに代表される窓、トーラナやトーラナアーチ、方杖、斜め格子、壁面の腰回りに装飾としてみられる蛇身とナーガ(蛇神)信仰、屋根のガジュー(カジュル)、ドバジャ(バター、バターカ)、望楼などについても解説されています。これらの装飾についての過去の記事は →「Jestha Varna Mahavihar Min Nath Temple (Min Nath Temple) ミンナート寺院 (Patan)」 および →「Changu Narayan チャング ナラヤン」

第二章では著者の専門でもあるインド建築が、アジャンター第十九窟、エローラ第十窟、カジュラーホーのラクシュマーナ寺、マハーバリープラムの五つの寺院などを例に、ネパールとの繋がりも含め詳しく記されています。

第四章から六章では、250寺院について、建立年、修復年、実測した平面図、構造・様式、神室、細部、備考、各項目が書かれています。

15のコラムも読み応え十分です。

エピローグで、著者は以下のような自説を展開します。

ネパールのネワール・パゴダ様式建築の源流を赤道直下に位置するインドネシアの伝統的木造建築に次のような理由で求めたい。
①インドネシアの伝統的木造建築には、柱上に組物の発展がなく、簡単な方杖で軒を支える。
②インドネシア・ニアス島の伝統的木造民家は、床上の居住部分を外部に斜めに張り出して、格子を前倒しに付け、内側にベンチを設けている。
③インドネシア・北スマトラのリンガ村(バタックカロ族)の伝統的木造集会所は、屋根の頂部に上れない望楼を載せている。サモシル島のヌマタンプルマ(シマルングバタック博物館)の民家の頂部にも望楼が載る。
④貫の使用量が比較的少ない。
⑤ネパールのネワール・パゴダ様式建築は、二階より上に上れないものがほとんどで、バリ島の蜜櫓式木造塔に類似する。
⑥ネパールで著名なピーコックウインドー(孔雀窓)と類似するインドネシア国鳥ガルダウインドー(ジャワクマタカ窓)の技法がある。

この説の結論としては、

仮にこれが認められれば、ネワール・パゴダ様式建築の図式は次のようになる。
インドネシアの伝統的木造建築→インド・ケーララ州→インド・ヒマーチャル・プラデーシュ州→ネパール・ネワール・パゴダ様式建築

としています。また、日本の仏塔建築のルーツについても、以下のような自説を提唱しています。

一方、私はファーガソンが指摘したインド・ケーララ州を源にすることも捨てがたいと思っている。とくに、我が国の仏塔を考えると、「インド・ケーララ州→インドネシアの伝統的木造建築→我が国の仏塔」という図式が成り立つのではないかと想像をたくましくせざるを得ない。七世紀末に建立された世界最古の木造塔である法隆寺五重塔には、心柱がある。心柱構造の木造塔は、中国にもネパールのパゴダ建築にもない。しかし、インドネシア・バリ島の木造塔は心柱構造である。ジャック・デュマルセは、東ジャワのチャンディ・スロウォノの東壁北東隅に現れる一本柱で屋根(三重)を支える(心柱構造)のは、インド・ケーララ州東側に隣接するタミル・ナードゥ州マハーバリプラムにある八世紀の岩石寺院にみられる(佐藤浩司訳『東南アジアの住まい』)と指摘している。かつて国語学者の大野晋氏は、インド南部のタミル語と日本語が大変類似していることを著している。私は我が国の建築を考える際、インド洋、南シナ海の海上の道を、中国大陸横断のシルクロードとともに考慮すべきと思っている。

 

ナマステの国の神々 ―ネパールの赤い世界 川口敏彦著 叢文社

ナマステの国の神々 ―ネパールの赤い世界

川口敏彦著
叢文社
2001年10月17日 初版第1刷

著者は、『はじめに―「赤の世界」』で、

一歩この盆地に足を踏み入れると、この地域が全アジアから見てもきわめて特殊な地域とすぐに気づくに違いない。そこには神々が住んでいるのだ。赤く染まった神の居場所は、街のいたるところにある。「カトマンドゥ盆地は赤であふれている」という印象は、つまるところ、神が街の中にいっぱいいるということなのだ。

と記しているように、日常生活に溶け込んだ街中の神の写真が多く載せられています。写真を眺めているだけでカトマンドゥ盆地の街を散策している気分です。バクタプルで出会ったというヒンドゥの神に詳しいガイド、パサンタや、街で出会った人々の説明が神々の解説となっています。宗教と生活が一体となったネパールの人々の暮らしを理解するには、神々の意味を理解することが手始めになります。

『頭蓋骨のお椀』の章で、著者は、ダルバール広場の破壊神シヴァ神の化身である、カーラ・バイラヴ像について、

私が持っている常識では、神が持っている頭蓋骨のお椀にお供え物を置いていく人々のことをどうしても理解できそうになかった。

との感想を記しています。シヴァ神が破壊と共に再生、生殖、時には病を治す神でもあり、人々の人気を集め、マハー・シヴァラートリーでその威光を讃えられていることなど、他の宗教を知ることは難しいことです。30数年前、初めてネパールを訪れた私は何も知りませんでした。

写真は、2017年に訪れた際に撮った、カーラ・バイラヴ像です。