クチの地下トンネル Cu Chi Tunnels (Ben Dinh)

ベトナム戦争の一端を知る機会として、Địa đạo Củ Chi クチの地下トンネル Cu Chi Tunnels を訪れました。ベンディン Bến Đình にある地下トンネルは観光地として整備されており、ガイドさんの話によると、某国の千人を超える団体が一度に訪れた事があるそうです。半地下のビデオ上映室で概略が説明され、地図が周辺のトンネル網を示しています。トンネルは何層かに掘られています。トンネルの入り口、

中にはカモフラージュできるものもあります。落ちたくはないトラップなどが紹介され、実際にトンネルの中を歩くことも出来ます。本来のトンネルを拡張したものにもかかわらず、中を進むのは苦行です。炊事の煙が敵に発見されないような仕組みがあったり、戦争当時はトラックの古タイヤを使って作っていたホーチミンサンダルも見れます。キャッサバ芋も試食します。

Địa đạo Củ Chi
クチトンネル
Cu Chi Tunnels

開高健ルーム @ Hotel Magestic Saigon マジェスティックホテル サイゴン

「Hotel Magestic Saigon マジェスティックホテル サイゴン」にチェックインして部屋に荷物を置くと直ぐに、「開高健ルーム」が空いていれば見学させていただきたい旨をフロントでお願いしてみました。幸いにも宿泊客が無く、案内して下さりました。部屋の前のプレートには 本名の Takeshi ではなく Ken Kaiko と記されています。室内には開高健氏の写真が飾られています。もちろん、当時とベッドの種類や配置も異なり、最近また大きなリノベーションを済ませたばかりとのことです。

Ken (Takeshi) Kaiko’s Room
開高健ルーム
Hotel Majestic Saigon
マジェスティックホテルサイゴン

ベトナム戦記 開高健著 朝日新聞社

ベトナム戦記 
開高健 著

朝日新聞社
1990年10月20日 第1刷発行

読売新聞の特派員であった日野啓三氏が、本書の最後に解説「限りなく“事実”を求めて」と題して記された文章を引用すると、

 この本は一九六四年末から六五年初頭にかけて、開高健がサイゴン(現ホーチミン市)から「週刊朝日」に毎週送稿したルポルタージュを、帰国した開高自身が大急ぎでまとめて緊急出版したものである。
 フリーカメラマンの岡村昭彦が岩波新書の一冊として出した「南ヴェトナム戦争従軍記」とともに、ベトナム戦争の現場で日本人が書いた最初の記念すべき書物であり、日本国内でベトナム戦争への関心を一挙にかきたてた歴史的な書物でもある。

とのことです。ベトナム戦争のルポルタージュとして称賛される本書ですが、読み進めていくうちに、違和感を少し覚えます。ベトナム人の“七つの顔”の章では、自身が日本の小説家と自己紹介すると、多くの知識人が教えてくれたという艶話が記されていたり、他のルポルタージュでは必ず記されている、戦争の状況に関するアメリカ顧問団(1962年2月設置)などからの情報の収集に関する詳細な記載が乏しい事についてです。確かに、南ベトナム政府が弾圧してきた仏教徒の反政府デモなど、仏教徒側の話はよく聞き、多く記されています。しかし結論として、

『人民のために働いてくれる政府』を求めて現在の政府を否定する情熱は激しいけれど、解放戦線と妥協、握手、または平和共存については、みんな全的否定、または悲観的、かつ、逃避的な意見しか述べないのである。(中略)私にとっては不思議であった。何故かわからなかった。

と記し、仏教徒が北ベトナムにおける例を挙げ、共産主義は宗教活動を圧殺し去ることを開高氏に説くと、

私は北ベトナムについての事実を知らなすぎるのである。

と、ベトナム戦争の本質で、一番重要な点を曖昧にしています。1960年12月20日設立の『解放民族戦線』が、1959年5月13日の北ベトナム労働党の第15号決議によって樹立され、「人民改革党」と名乗り実態を隠ぺいしていた「北」党の南部中央局の直接指示を受けていた事実を、仏教徒は共産主義への鋭い警戒と疑いの中で既に気が付いていたのかも知れません。後になって開高氏はべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の設立時に中心的役割を果たしたにもかかわらず、その運動から距離を置くようになったのは、反米左派勢力に強く反発したからとされていますが、北ベトナムの事実を知ることとなったからでしょうか。

最後に、アメリカ軍の手配で、ベンキャット (ベンカト、Bến Cát、Lai Khê) 基地まで行きベトナム共和国陸軍(南ベトナム政府軍)に従軍し、サマック作戦に同行し九死に一生を得たことが記されています。ベンキャットの現在は、Vietnam War Travel – Discovering the hidden places from the Vietnam War の Lai Khe Base Campの記事

Along route QL13, also known as Thunder Road, there were a string of bases during the war. One of the most important ones was Lai Khe, which served as base camp for the 1st Infantry Division from 1965-1972 along with several other American units over different periods of time. The base camp was the headquarters for the 3rd Brigade with the division headquarters not far away in Di An. The other brigades were stationed at Quan Loi, Phuoc Vinh and Dau Tieng. It was a well chosen site, right on the highway, and together with its large runway and relative proximity to Saigon, supplies could be brought in fairly easily via both road and air. Another 70 kilometers up the road, a Special Forces Camp was located in Loc Ninh.

Being located so close to Saigon meant it was an important part of the city’s outer defenses as PAVN forces later in the war would push down QL13 during its attacks. At one point, it was one of the most active areas when it came to PAVN and VC activities. Being so close to the Iron Triangle, it also meant that many operations were launched from the base even as it was a constant target for enemy attacks.

と記され、現在の周囲の様子の映像も見ることが出来ます。サマック作戦とありましたので sa mạc (砂漠)作戦かと思いきや、読み直してみるとベンキャットから北方の地名の様です。開高健記念館の web site での、企画展「開高健とベトナム」の地図では、10キロ北方で13号線より西の様です。Lai Uyên の辺りのはずですが、Xa Mac などの地名で Google map 等で探してみても見当たりません。

ベトナム戦争当時のサイゴンでの開高健氏をよく知ると言われる仁平宏氏が、この「ベトナム戦記」について、ある web site で論評されています。

開高は、帰国直後の足で箱根に一週間籠り、猛烈な想像(妄想)力を発揮して殆ど徹夜作業で編集して緊急出版したものだ。編集記者もその一週間ぴったり開高に張り付いた。開高自身も「ベトナム戦記」は“真っ赤なニセモノかどうか分らなくて書き上げた”と自ら語っている

残念ながら、今となっては開高健氏の反論を聞くことが出来ません。

下の写真は、開高健氏も見たであろう、マジェスティックホテルサイゴンから見た夜明けです。

 

象耳魚 Elephant Ear Fish @ MEKONG TRAM DUNG (Long An)

クチトンネルでの観光を終え、メコンデルタツアーに向かう途中、昼食は「Mekong Trạm Dừng (Mekong Rest Stop)」で摂る段取りがされていました。ツアー客専用レストランです。他の団体客とは離れた静かなテーブルに案内されました。何種類か価格設定があるのかも知れませんが、メニューです。飲み物とチップは含まれていません。追加でココナッツジュースをお願いします。メニューの順番に、海老と豚の揚げ春巻き Chả giò tôm thịt、メコン風バインセオ Bánh xèo Mekong、風船餅 Xôi chiên phồng、象耳魚の姿揚げ Cá tai tượng chiên xù、豚の串焼き Heo nướng xiên、メコン風炒飯 Cơm chiên Mekong、ミトー風ライスヌードル Hủ tiếu Mỹ Tho、果物 Trái cây と並びます。

MEKONG TRAM DUNG
Mekong Rest Stop

KM 1964+ 300 National road 1A, Vietnam

 

メコンデルタツアー ミトー My Tho

クチトンネルから車で移動、途中で昼食を摂った後に、ミトーの街の船乗り場に着きます。定番のメコンデルタツアーの始まりです。中洲の島までモーターのついたボートで渡り、上陸後、果物が植えられた場所を散策します。蜂蜜屋さんへ寄り、蛇を首に巻かせてくれるそうですが遠慮しました。その後もココナツキャンディー屋さんに寄ったり、果物を食べながら歌を聞かせてくれたりする場所に寄ったりと、その場で蜂蜜やキャンディを買ったり、チップを置いていくことが前提の、典型的なお土産屋商売のツアーです。我が家の様な、団体で行動するのが苦手な人々には向かないかも知れません。最後にようやく、手漕ぎボートに乗りますが、いかにもな水路を行きます。そのまま本流に出て、乗ってきたボートに乗り換え、ミトーに戻ります。

AO Show アーオーショー @ Saigon Opera House サイゴンオペラハウス

ベトナムに向けて出発の前に、唯一予約していたアクティビティが、サイゴンオペラハウス Saigon Opera House (ホーチミン市民劇場 Nhà hát Thành phố Hồ Chí Minh)で催されている AO Show アーオーショーです。1897年に建築されたフレンチコロニアル様式の建物が、その会場です。ショーの始まる前と後で舞台を撮ってみました。見上げた天井や、座席も素敵です。ホール近くの階段は終演後にスタッフが並び観客を見送り、記念撮影にも応じていました。ショーが終わるころに外も暗くなり、ライトアップが映えます。ショーの詳細は、開催元の Lune Production の web site で見ることが出来、予約も可能です。

AO Show

Saigon Opera House

Nha Hang Ngon ニャーハンゴン (Ho Chi Minh City)

クチトンネルとメコンデルタツアーのガイドさんに、何処のベトナム料理店がお薦めかを尋ねると「Nhà Hàng Ngon ニャーハンゴン」さんとの答えでしたので、その夜伺いました。客席も多く、ファミレスっぽい雑然さがあり、落ち着いて静かに食事をという雰囲気ではありません。 ビールをお願いし、バインイット Bánh Ít、バインセオ Bánh Xèo、コムタム Cơm Tấm Sườn Chảと頂き、デザートの焼きバナナ Chuối Cuộn Nếp Nướng, Nước Cốt Dừa を、コーヒーと頂きました。

Nha Hang Ngon
ニャーハンゴン

160 Pasteur, Bến Nghé, Quận 1, Hồ Chí Minh

ヤックラム寺 覚林寺 Chua Giac Lam (Ho Chi Minh) 

1744年に建立された、ホーチミンで最も古いお寺、Chùa Giác Lâm ヤックラム寺(覚林寺)を訪れました。すぐ目に入るのが七重の塔です。1970年に建設が始まり1993年に完成した建物です。中に入ると、 階段があり登っていくと各階に仏様が祀られています。最上階からは周囲の景色を眺めることが出来ます。改めてお寺の門をくぐり、本堂に向かいます。ガイドブックでは、お願いすると中に入ることが出来ると書かれていますが、外観のみ見るに留めました。

Chùa Giác Lâm
ヤックラム寺(覚林寺)

南ヴェトナム戦争従軍記 [全] 岡村昭彦著 ちくま文庫

南ヴェトナム戦争従軍記 [全]
岡村昭彦著

ちくま文庫
1990年2月27日第 1 刷発行

「南ヴェトナム戦争従軍記」(1965年1月、岩波新書)、「続南ヴェトナム戦争従軍記」(1966年9月、岩波新書)として、岩波書店より刊行され、その後「岡村昭彦集1」(1968年3月、筑摩書房)に収録されたものを、文庫本にされたものです。

「南ヴェトナム戦争従軍記」では、南ヴェトナム政府軍に幾度となく従軍し、その詳細を記し、1963年11月にクーデターでゴー・ディン・ジエム大統領と弟のヌーが失脚、処刑された際の街中やジャロン宮殿の様子も描写し、当時28もあり約200万人とされた山岳民族からなる部隊にも従軍し、ホー・チ・ミン・ルートについて垣間見ようとしましたが、勿論叶うことはありませんでした。

従軍の際、南ヴェトナム政府軍の民衆に対する残虐行為をしばしば描いているが、解放戦線側の戦闘による民衆の犠牲やテロの実態には全く触れていない。

と『「悪魔祓い」の戦後史』(稲垣武 著)で指摘されています。

「続南ヴェトナム戦争従軍記」では、著者が自ら、

一つの戦争をその両側から取材するということは、一九六三年夏、私がはじめてヴェトナムの戦場の土をふんで以来の切実な念願であった。もちろん、それは極めて困難で、しかもこのうえなく危険な試みである。特に南ヴェトナム戦争場合のように、敵味方が複雑に入りみだれ、からみあいつつ激動する状況下にあっては、なおさらのことだ。しかし、そうであればあるだけ、両側から取材することは一層重要な課題となってくる。

と、巻頭に記したように、南ヴェトナム解放民族戦線の支配する解放区に潜り込むことに執心し、その記録を残しています。しかしながら、解放区の村に滞在しただけで、解放戦線に従軍できたわけではありません。「捕虜収容所日記」と題した項目では、再度解放区に潜入はしたものの、従軍出来ないどころか、屋根と柱だけの小屋に収容され監視下での生活を送ることになります。ただ、43日目に、サイゴン・ジアディン地区責任者であり、民主党書記長の、フエン・タン・ファット副議長に会うことが実現し、彼との会話の詳細が記されています。南ヴェトナム政府軍はアメリカの傀儡であるとのプロパガンダを繰り返した解放民族戦線自体や、その代表的存在のフエン・タン・ファット自身も、歴史的に振り返ると北ヴェトナムやその背後にいた中国、ソ連のお飾り的存在に過ぎなかったことは皮肉ですが、当時はそのことを知ってか知らずか、著者に好感を持たせる発言を重ねています。

独立をかちとった場合、私たちは、どこの国とも軍事同盟を結ばない、非同盟・中立の政府をつくります。

独立後の南北統一については、

北はすでに違う社会体制をもっており、それに向かって進んでいます。社会体制の異なる国が一緒になるのは、それほど簡単なことではありません。

北ヴェトナム軍との関係については、

アメリカはさかんに、北ヴェトナム軍が我々と一緒に戦闘しているようにいっておりますが、そんな事実はありません。中国はわれわれのよき理解者であり、心からの支援を送ってくれています。しかし、物質的・人的支援は受けていません。

前出『「悪魔祓い」の戦後史』(稲垣武 著)でも

生粋の共産党員であったファトを「民族ブルジョワジーの代表」としているのは、解放戦線側の偽装を信じたためであろう。米軍や「南」政府軍の発表には常に懐疑の刃をふりかざしている岡村が、解放戦線の宣伝は一も二もなく信じるのは奇異だが、その根底には解放戦線へのシンパシーがあったからに違いない。

と評されています。

写真はクチ史跡の、地下トンネルの台所、

 

 

 

Laang Restaurant (Thao Dien, District 2, Ho Chi Minh City)

ホーチミン 2区のタオディエン Thao Dien 地区が最近注目とのことで出かけてみました。小洒落たショップが並ぶ通りもありますが、すぐ傍には昔ながらの通りもありました。2019年6月に開店したばかりの「ラーング Laang Restaurant」さんを訪れました。富裕層等を意識した様な店構え、メニュー構成です。まずは、マンゴー Xoài、パイナップル Thơm、パッションフルーツ Chanh dây と蜂蜜 Mật ong のスムージー、ビールをお願いし、烏賊入りパパイヤサラダ Gỏi đu đủ mực、鴨肉のロースト Vịt quay bánh hỏi、ブンティットヌン Bún thịt nướng を頂きました。デザートにチョコレートソースかけバナナフリッター Chuối chiên sốt sô cô la を、コーヒーと頂きました。

Laang Restaurant

22 Dang Huu Pho Thao Dien,
District 2, Ho Chi Minh City

https://laangsaigon.com/