バクタプル Bhaktapur 世界遺産 Kathmandu Valley

豪雨のパタンPatanを後にして、バクタプルBhaktapurに向かいました。ここでは、街の入り口で外国人は入場料を支払います。

まず1427年建立のダッタトラヤ寺院 Dattatraya Mandir です。その前の広場は、タチュパル広場 Tachupal Square と呼ばれます。この傍にあるDattatraya khaja gahrで美味しいものを頂くつもりでした。お店を覗いてみましたが、開店は昼過ぎになるとのことで、残念ながら諦めました。

次のトウマディー広場 Toumadhi Square のメインはニャタポラ寺院 Nyatapora Mandir です。曇天かつ逆光で分かりにくい写真ですが、カトマンズ盆地で一番高い、30メートルといわれる5層の屋根を持ちます。

その基壇を登ると、左手にバイラヴナート寺院 Bhairavnath Mandir と広場が見下ろせます。

30年前も同じ場所で同じ様に写真を撮っていました。

もう一つのメインの広場が、ダルバール広場 Durbar Square です。中央が55窓の宮殿 55 Window Palaceで、その左に王宮の入り口ゴールデンゲートがあります。

30年前も同じ様なアングルで写真を撮っていました。

王様の沐浴場のナーガ・ポカリNaga Pokhariも訪れてみます。ヒンドゥ教の神ナーガ(蛇神)が廻りを囲み、さらに高く首を伸ばしているナーガを見ることが出来ます。

2015年の震災の爪痕は、まだ残ったままです。ファシデガ寺院 Fasi Dega Mandir は基壇を残して崩壊していました。

シッディラクシュミ寺院 Siddhi Lakshmi Templeも同じように崩壊し、基壇しか残っていません。 クリシュナ寺院 Krishna Temple は大丈夫でした。 30年前のダルバール広場の写真の中央のシカラ様式の美しい建物が、崩壊してしまった Vatsala (Vatshala) Druga Temple バトサラ ドゥルガ寺院です。

ネパールで素朴で美味しいダルバートDal Bhatを作る Nepali Cooking Course その2

モモMomoを作るのと同時に、ダルバートDal Bhat作りも進行です。
ご飯を炊き、圧力釜でダル作りも始めます。

Tarkariタルカリ用の野菜もカットしていきます。手前の緑がSquashで、ジャガイモと共に角切りです。玉ねぎを炒めた後にこれらを投入し、Turmericターメリックと塩も加え強火で炒め、Cuminクミン、Coriander leavesコリアンダー、Garlicガーリック、Chilliチリをグラインドしたものを加えた後は蓋をして弱火でしばらく火を通します。Sabjiサブジ(サグ)も同様にさっと強火で炒めるだけと思っていたら、最後に蓋をして弱火で暫くおくのが意外でした。

出来上がったダルバートです。横に添えられたダヒ(ヨーグルト)は市販品です。これに畑で採れた胡瓜、人参も添えてあります。途中で息子さん、娘さんも学校から帰宅し、家族皆さんと一緒に頂きました。Amritさんが手食で食べ始められたので、せっかくの機会、私もスプーンを使わずに頂きました。ダルの後ろのspicy sauce、Acharも美味しく、ネパールで頂いた中で一番印象に残るダルバートになりました。

Nepali Cooking Course

http://www.nepalicookingcourse.com/

ネパールの料理教室でモモMomo作り Nepali Cooking Course その1

Amritさんのお家に到着すると、奥さんとお母さんのお出迎えを受け、まずお茶を頂きました。半日コースであれば、ここで自己紹介をしたり、簡単なネパール語講座なども行われるようですが、何せこの日の参加者は私1人のみで、車の中で既にいろいろな話もしましたので、早速料理教室の開始です。講師は奥さんです。使うスパイスの数々を教えていただき、まずは定番のモモ作りです。日本人にとってはモモ作りは家庭で餃子を作るのと似ていますが、欧米人がいれば感想を聞きたかったところです。野菜をみじん切りにして、クミンシードを油で炒めターメリックも加えたものと混ぜ、皮を伸ばして包み、蒸します。dipping sauceとなるチャトニも年代物の石のグラインダーで香辛料やトマトを潰して作っていきます。 出来上がると早速頂きました。

Nepali Cooking Course

http://www.nepalicookingcourse.com/

ネパール料理教室Nepali Cooking Courseへの道すがら

最近、大阪でもナンとバターチキンカレーではない、ネパール料理を供するネパール料理店が増えてきました。頻回に食べに伺い、それぞれのお店の方とネパール料理やネパールの風習文化について話をするうちに、ネパールに行きたくて堪らなくなりました。ネパールに着いても、ネパールの人と料理などについて色々な話をしたいので、料理教室に参加してみることにしました。web siteを検索してみると、丁度良い感じの家族でやっておられるNepali Cooking Courseにたどり着きました。

In addition to learning to master the rich flavors of typical local Nepali cooking, attending Nepali cooking course is a once in a lifetime experience. Emphasize its a family business cooking traditional foods using typical Nepali cooking methods. Nepal, is located to the south east of China and is bordered by China, And India. Many people travel to Nepal to see the Mount Everest and Typical Culture and  to experience truly Nature and Warm Hospitality . Part of Nepali culture is to treat guests as if they were part of the family. History, elders, and traditions make up an important part of Nepal’s culture, which makes sense as Nepal is home to some of the world’s oldest civilization.

半日コースと1日コースがあるようですが、出来るだけ多くの料理を知りたいので、何度かメールのやり取りの中でネワール料理にいたく興味がある旨を伝えると、1日コースに話は落ち着きました。朝9時にホテルにピックアップに来ていただく事になりました。

Full Day Course
Making Dal Bhat Curry Momo and pickle or make celebration bread, rice pudding and curry. (9:00 am to 5:00 pm)

Per Person 5000 Rupees (Included transportation, food and class)

当日朝、家族の長であるAmritさんがホテルに時間通り迎えに来て下さりました。小さなスズキの車のタクシーに乗ってお家へ向かいます。タメル地区から北西に行った場所の様です。途中、マチャポカリMachha Pokhariという場所の青空市場に寄って、野菜をいくつか購入しました。家の畑で野菜を栽培してはいるが、足らない物をここで調達するとのことでした。そこを出て幹線から別れ、細い道に入って行った場所で、今度は鶏肉と卵の調達です。因みに、鶏肉は1kgが300Rs、卵は30個で400Rsとのことでした。どうやら、雨季の8月は観光客も少なく、この料理教室も参加者が少なくなるようです。この日は、私一人のみでした。

Nepali Cooking Course

http://www.nepalicookingcourse.com/

 

セクワSekuwaが美味しいカトマンズのPuskar Sekuwa Corner (Putalisadak)

散策の途中でバッグバザールサダックBag Bazar Sadakの通りを進んだのには理由がありました。この日の夕食を8時にドゥワリカホテルDwarika’s Hotelのレストランで予約していたのですが、その前に、あるお店でセクワSekuwaをを食べておきたかったのです。そのお店Puskar Sekuwa CornerがプタリサダックPutalisadakとバッグバザーサダックBag Bazar Sadakの交差点の近くに在る事を前もって調べていました。Google MapにはBag Bazar Sadak通り沿いに示されていましたが、Putalisadakの通りに面していました。1階が調理場で、2階が客席のようです。階段を登ると、薄暗く細長い部屋に客席があり、もちろん地元の人ばかり3組ほど先客がありました。取り敢えずビールTuborgとマトンセクワMutton Sekuwaをお願いしました。香ばしく、美味しく、一気に頂いてしまいました。もう一品頂こうと店の人にお奨めを尋ね、Hyakulaも頼むことにしました。タメルからも距離があり、観光客がやって来ることはまず有り得ない場所ですが、メニューには英語表記はありました。店の人も、変な客が迷い込んできたと、興味津々のようでした。コリコリとした歯ごたえと塩加減でビールが進みます。夕食の予約を入れていなければ、全ての料理を、順番に食べれるところまで試したいところでした。後ろ髪を引かれる思いで、お店を後にしました。営業時間は午後1時から9時までの様です。

Puskar Sekuwa Corner

Putalisadak, Kathmandu

https://www.facebook.com/PuskarSekuwaCorner/?rf=343232919142867

カトマンズ、トリブヴァン国際空港から定額タクシーに乗って

カトマンズKathmanduのトリブヴァンTribhuvan国際空港に到着し、無事入国手続きを終え、荷物を受け取った後はホテルまでの足の確保です。公共交通機関の利用は通りに出て市内バスを捕まえるくらいしかなく、観光客にとっては実質タクシーしかありません。タクシーもメーターを使いレシートを発行する様にとの国の施策は、Kathmandupost 2017-01-02の「Taxi receipt system formally launched」 と題された記事でも紹介されてはいます。

From now on, taxi drivers will have to provide a receipt to their passengers at the end of the journey. The slip contains details about the distance travelled, the fare and the vehicle’s registration number. The Nepal Bureau of Standards and Metrology (NBSM) had issued a deadline to all taxis operating in the Kathmandu Valley that they should install the new meter from Sunday.

結局今回の滞在の最後までメーターを使っているタクシーにはお目にかかりませんでした。値段の駆け引きも、相場が分からないのでは最初はやり様がありません。荷物を受け取って外に出るまでの通路に両替屋と定額タクシーのカウンターがありますので、最小限の両替とタクシーの申し込みをすることになります。タクシーに乗る場所辺りは、30年前はもっとのんびりした様相でしたが、今は殺気立った混雑具合です。

因みに、空港での両替レートはこの日は10,000円が9,020ネパールルピーでしたが、同じ日のタメル地区での両替屋では10,000円が9,120ネパールルピーでした。

ネパール観光ビザのオンライン申請と実際の入国手続き

観光でネパール入国に際するビザの取得については、Department of immigrationのweb siteで、Tourist Visaについて詳記が有ります。

Fill in Online ‘Tourist Visa ‘form ( you can fill it up  prior to your arrival  visiting our official website  Department of Immigration / fill it up using Kiosk machines upon your arrival at the airport).  If you fill it from the website, you will get submission Receipt with barcode, please print it out and bring it along for acquiring visa. It works for fifteen days and becomes invalid then after.  If so, you will have to fill it up again.

領事館などで前もってビザを取得しておかなくても、到着時にビザOn Arrival Visaを取得できるのは30年前とかわりません。しかし今は、空港でコンピューター入力も必要になるので、前もってオンライン申請しておかないと手続きに要する時間が読めません。入国15日前以降にオンライン申請することになりますが、申請の画面で誰しもが戸惑うことになります。Permanent Address (Home Country)の記入欄には、Street No., Street Name, PIN Numberとありますが、これは「上手く」埋めていきます。先に進んでAdress in Nepalの記入欄には、House No., Street Name, Ward No., VDC/Municipality, Distritなどと理解できない単語が並びますので、ホテルに問い合わせるしかありません。各欄に入力しても、文字数が多すぎる、数字しか使うななどといったエラーメッセージが出ることがありますので、これも「上手く」応じて入力していきます。一番下の欄はカトマンズ空港からの入国では、Immigration OfficeとTIAを選択する様です。顔マークをクリックすると顔写真をアップすることが出来ます。1.5インチx1.5インチとあったので、手持ちのパスポート用に撮った顔写真ファイル(縦長)をサイズを合わせるように正方形にトリミングした後アップを試みましたが出来ません。仕方ないので長方形のままアップすると縦が短い顔になりましたが、出来ました。よく分かりません。

2nd  Step  

  • Make payment  at the bank according to your visa requirement ( 15/30/90 Days)
  • Get the receipt

While you can use different modes of payments (at visa fees collection counter), we advise you to carry some cash to be on the safe side.

On Arrival Visa Fee
15 Days – 25 USD

30 Days – 40 USD
90 Days – 100 USD

オンライン申請した時にプリントアウトした紙にサインして持参すれば、空港到着後はまずVisa Fee支払カウンターに直行です。他の便の到着状況にもよりますが、今回は前に1グループがいただけで直ぐに支払完了しました。日本円で支払うかと訊かれましたが、25ドル用意していました。前のグループはその日にラサから到着し、翌日にはインドに出発するとのことで、1人5ドルと言われていました。

3rd Step  

Proceed to the Immigration Desk with your online form,  payment receipts and your passportHand in your documents to immigration officer for visa processing. He/she issues visa to you upon his/her satisfaction.

どこの国の入国審査もそうですが、飛行機の到着に応じて窓口の数を増やしたり減らしたりします。良いタイミングで窓口が増えたため、数人待ちで通過できました。

2017年夏のネパール旅行の詳細は
→「ネパール旅行 2017年」

大阪兵庫のダルバートを探して 2017年2月

<2017年2月に記したものです>

私自身が大阪で食べたダルバートのご紹介です。北摂から出かけやすい兵庫県のお店も含んでいます。

ダルバート食堂

大阪市中央区内久宝寺町3-3-16
http://dalbhat-shokudo.com/
https://twitter.com/dalbhat_nepal

その名もダルバート食堂、ランチはダルバートのみという潔さです。今や大阪のダルバートを代表する勢いです。週替わりで内容が変わり、この時(秋でした)はさんまのカレー定食にミニチキンカレー追加、ライスもイエローライスに変更していただきました。今週は、日替わりから、ほうれん草キーマカレーを選び、ミニチキンカレーを追加し、バスマティライスに変更していただきました。

jujudhau ズーズーダゥ

池田市室町1-3
https://www.facebook.com/jujudhaunepal/

ダルバート食堂と同じくらい、あるいはそれ以上のお気に入りのお店です。阪急宝塚線の池田駅のすぐ傍にあります。やや高めの値段設定ですが、ランチは美味しいデザートとドリンク付き、昨年末からはディナータイムにもいただける様になり、ロティとドリンク付きです。カレーはチキンかマトンから選ぶことが出来、タルカリ、サーグ、アチャールも味、量ともしっかりしています。バスマティライスが選択肢にあれば言うことなしです。

まずはランチバージョン、お正月なので?いつもより1品多く添えていただいています。運が良ければサフランライスバージョンにも巡り合えます。ディナーバージョンはロティが添えられます。この日のアチャールは大根と、じゃが芋の2品でした。ヒンズー教の神様、ラクシュミーを家にお迎えし、富と繁栄、幸せを祈るお祭りティハールの際は、綺麗に飾りつけされ、特別なプレートが供されます。

Manakamana マナカマナ

大阪市中央区平野町1-6-10
http://manakamana.jp/
https://twitter.com/manakamanaosaka

ディナー時でもダルバートをいただくことが出来ます。ベースはベジですが、山羊肉カレーを追加しました。年の暮でしたが、大変込み合い繁盛しておられました。

Gorkha Bazar ゴルカバザール

大阪市中央区高津1-2-16
http://gorkhabazar.com/

レストランがゲストハウスになってしまったのか、食事をいただけるのはバー仕様のカウンターのみのお店でした。狭い調理スペースで、一人で切り盛りされていました。マトンカレー付きでお願いし、バスマティライスにしました。

Akash アカーシュ

西宮市門前町7-26

ダルバートは平日限定の様です。席について躊躇なく山羊肉選択のダルバートを注文しました。山羊かチキンの選択になっていました。隣の席にいたママ友グループらしき4人組から、ダルバートって何との声が聞こえてきました。

Sanchai サンチャイ

宝塚市逆瀬川1-11-1 アピア2 1F

優しい味加減のダルバートがいただけました。頼まないのにライスが大盛りになっていました。バスマティライスが基本なのが嬉しいです。カレーはチキンのみの様ですが、バリエーションがあるのか、次回にでも尋ねてみましょう。

Daphe Munal ダフェ ムナール

大阪市淀川区西中島3-21-1

ランチ時にネパールターリーを頂きました。ダルバート簡易版でしょうか、サグはありません。ディナータイムには本格的なダルバート・タルカリセットが供されるようですが、まだ頂いていません。

Siddartha シダラタ

大阪市西区江戸堀3-7-14
https://siddartha1203.owst.jp/

ランチでもダルバートをいただけます。階段を上って2階のお店へ入ると、1階の入口から想像するのとは異なり広いスぺースです。タイミング悪く、先客たちのタバコの煙が充満しており残念でした。ダルバートの方は、サグとタルカリが一緒になったようなものが供されていました。

<2017年2月に記した続編です>

今回は兵庫県西宮市、尼崎市の2店も含む4店のご紹介となります。

TURMERIC ターメリック

西宮市甲子園口2-24-28
http://www.turmeric-kiran.co.jp/
https://twitter.com/turmericrest1

JR甲子園口駅近くの商店街にあるお店です。週1回のダルバートが、毎土曜日になり、毎土日に供されるようになった様です。お陰で行く機会が出来て、とある日曜日に出かけてみました。見た目も綺麗に盛り付けられています。この日のカレーは魚カレーでした。twitterを拝見しますとマトン&チキンが選べる日もある様です。北摂からはやや遠いですが、頻回に訪れたい気にさせてくれるダルバートでした。

Herb & Spice Bayleaf ハーブ&スパイス ベイリーフ

尼崎市開明町2-8-1
https://www.facebook.com/herbandspicebayleaf/?fref=ts

阪神尼崎駅から南にあるお店です。国道43号線に近い場所にあります。ランチタイムに伺い、ダルバートマスをマトンを選んでいただきました。なかなか良い感じの盛り付けです。

RAM SHANTI ラムシャンティ

大阪市旭区大宮3-17-21
http://www.ram-shanti.com/

地下鉄谷町線千林大宮駅の近くにあるお店を訪れました。ランチタイムのダルバートをいただきました。小さな肉カレーの追加が出来るか尋ねてみましたが、できない様です。お店のweb siteに載せられている写真と少しイメージが違うものが供されました。たぶんお皿の違いがイメージに大きく影響しています。サラダも付いていますが、無くても良いかなとも感じました。

PARIJAAT パリジャート

大阪市淀川区三津屋北1-35-16
http://parijaat.net/

阪急神戸線神崎川駅からすぐの商店街の中にありました。webで他の方が撮られたダルバートの写真を想像して行ったのですが、ご覧のような皿へ変わっていました。カレーも以前は2種類を選べた様ですが、1種類のみの選択です。チキンカレーを選びましたが、普通のカレー屋さんで食べるチキンカレーそのものといった感じになってしまい、ダル自体の味を楽しむことが出来ませんでした。盛り付けなど試行錯誤されている段階かもしれません。

 

 

大木神父奮戦記

学生の頃ネパールを旅したかった理由の一つが大木神父の存在でした。ネパールへ渡られ、その後、障がい児教育の施設をポカラで運営されるようになったと耳にしていました。ポカラとはどんな場所なのか、見に行きたかったのでした。その大木神父のネパールでの経緯などを綴った本が出版されています。

大木神父奮戦記

大木章次郎語り下ろし製作委員会
小学館スクウェア ¥1428(税別)
2011年7月15日第1刷発行

イエズス会の大木章次郎神父が1977年ネパールに渡り、1979年からポカラで障がい児教育センターであるシシュ・ビカス・ケンドラを、小さな平屋の家を借りて試行錯誤しながら始められました。ネパールはヒンズー教の国であり、それまでは、障がい者というのは前世の罪の結果生まれてきた隠すべき者というように考えられていました。その様な価値観を持つ人々が多いネパールで、障がい児への教育に取り組まれたことは、並大抵の苦労ではなかったはずです。しかも、政府はキリスト教を非常に警戒しており、宣教をしようとしているのではないかと疑ってキリスト教の団体には圧力をかけていました。

江口美由紀さん「大木神父からの聞き書き」の形で原稿をまとめられた本です。ビザの問題、資金の問題、政府からの圧力のエピソード、マオイスト(共産党毛沢東主義派)からの殺人予告などを語られておられます。 ネパールの政情はとても不安定です。大木神父に対するマオイストからの殺人予告だけではなく、実際に首都カトマンズではカトリック教会の爆破事件も起きたりしました。この本で語られている以上に、ヒンズー教とキリスト教の間には様々な葛藤があるようで、ご苦労が行間からも読めます。 日本では、大木神父の窮状を経済面からでも支援しようと、倉光誠一氏「ポカラの会」を立ち上げられ、集まった寄付を神父に送り支援される様になったのです。その後、曾野綾子さん主宰される海外法人宣教者活動援助後援会も、施設の拡張に援助を申し出られたとのことです。さらに、スタッフが独立して、シシュ・ビカス・ケンドラを卒業した後を受け入れる障がい者施設、セワ・ケンドラも誕生しました。こちらにも日本人のサポーターグループが有り支援をされているとのことです。また、子供がいるために母親が働きに出られない貧しい母子家庭の子供を、母親が働いている間預かるジョティー・ケンドラも、経営に必要な資金をポカラの会が出すことで始められたそうです。こちらではシスター川岡が奮闘されておられました。さらに、貧しい人たちの診療を自分たちでしたいと、あるネパール人の青年がシッダールタ・クラブというNPOを作り、会費を集め、ボランティアの医師に診療を頼むようになりました。しかし、金銭面の問題から、シッダールタ・クラブもポカラの会の援助無しでは運営できない状況もあったようです。神父の意思を継いで、ポカラにヒマラヤの見える教会を建てる計画も、教会建設支援の会が立ちあげられ、支援を集められました。神父は2009年イエズス会から帰国指示が出され、後進に道を譲って帰国されました。ポカラの会もその趣旨を継続するため、神父の帰国を機に、「新ポカラの会」として再出発されました。 「ポカラの会」「新ポカラの会」は倉光誠一氏が、ご高齢にもかかわらず、私費でネパールに行き来されて支えて来られました。web siteも個人で立ち上げておられましたが、同氏は2014年突然の病でご帰天され、大木神父も2015年ご帰天されました。その意思は、「ニューポカラの会」に引き継がれています。

中国1986 ネパール、インド1987 バックパッカーとフラッシュパッカー

中国への個人旅行 1986

1980年代後半、学生時代に出かけた最初の海外旅行の行先は中国でした。中国への個人旅行がようやく可能になった頃です。ビザの関係から、香港から広州へ団体旅行で入る形を取り、以降は各個人が自由に旅行するというものでした。「地球の歩き方」を手に、「格安航空券」を使って旅する「バックパッカーもどき」のデビューでした。

広州から西安へ飛行機を使い、そこから鉄道で西安→洛陽→鄭州→上海と移動することにしました。バックパッカーとは、別の意味では、移動手段と宿の確保の連続です。宿の確保はまだしも、鉄道のチケットの確保は想像以上の混沌の中でした。ようやく窓口に辿りついても「没有」の一言で終わりです。目的のチケットの確保には多大の時間と労力を費やしました。正統派?バックパッカーからすればそんな事は当たり前と言われそうですが、限られた時間で旅行をする身にはこの時間は節約したいと思いました。宿泊も正統派?バックパッカーにはこれまた怒られますが、気ままに旅行したいのに他人に気遣うドミトリーは避けたく、質素ながらも鍵のかかる部屋に泊まりました。盗難などのトラブルも避けたい意味もありました。

インド、ネパールへの一人旅 1987

中国から戻ると、すぐに次の目的地への計画です。気持ちはインド、ネパールしかありませんでした。翌年の春休みの18日間が、使えるすべてでしたので、主な移動手段はすべて飛行機にしました。格安航空券は大阪→香港(1泊)→カトマンズの往復です。ネパール国内線の、カトマンズとポカラ間の往復の航空券もとっておきました。カトマンズから先は、カトマンズ→バラナシ→カジュラホ→デリー→ボンベイ(ムンバイ)→オーランガバード→マドラス(チェンナイ)→マドゥライ→カルカッタ(コルカタ)→カトマンズをIndian airlinesの現地のオフィスで繋げてもらいました。外国人向けの周遊航空券のカテゴリーのものを使った様な記憶があります。荷物はバックパッキングで出かけ、宿は行き当たりばったりの安宿泊まりでしたが、自身でも狭義のバックパッカーとは違うと思っていました。

フラッシュパッカーとバックパッカー

最近、「フラッシュパッカー」なる言葉があることを知りました。定義としてはバックパッカーよりも少し金銭的に余裕のある旅行者を指すようです。『基本的に格安旅行だが、ドミトリーは嫌なので少し宿代にお金を出す、あるいは時間節約に飛行機を移動手段に使うのにお金を使う。』のも含まれるなら、私の学生時代のこれらの旅のスタイルもこの言葉に近いのでしょう。スマホなどを片手にネットの情報を得ながらという定義であれば、もちろん程遠いものですが。

個人でみれば、年を取れば旅に使える日数やお金も変わり、旅の方法も変わっていきます。社会全体でみた時に、大学生など若者にバックパッカーが流行らなくなった結果、出てきた言葉でしょうか。