クチトンネルから車で移動、途中で昼食を摂った後に、ミトーの街の船乗り場に着きます。定番のメコンデルタツアーの始まりです。中洲の島までモーターのついたボートで渡り、
上陸後、果物が植えられた場所を散策します。
蜂蜜屋さんへ寄り、
蛇を首に巻かせてくれるそうですが遠慮しました。
その後もココナツキャンディー屋さんに寄ったり、
果物を食べながら歌を聞かせてくれたりする場所に寄ったりと、
その場で蜂蜜やキャンディを買ったり、チップを置いていくことが前提の、典型的なお土産屋商売のツアーです。我が家の様な、団体で行動するのが苦手な人々には向かないかも知れません。最後にようやく、手漕ぎボートに乗りますが、いかにもな水路を行きます。
そのまま本流に出て、乗ってきたボートに乗り換え、ミトーに戻ります。
投稿者: フクロウ
ブンダウマムトム Bun Dau Mam Tom @ Pho 89 フォーハチキュー (神戸市長田区)
神戸市長田区にある、ベトナム人によるベトナム人のためのベトナム料理店を訪ねる楽しみを見つけました。「Pho 89 フォーハチキュウ」さんも今年に開店したばかりの様です。ブンダウマムトム Bún Đậu Mắm Tôm をお願いしました。
添えられる豚の茹でたコブクロ Dồi Trường Luộc は、
茹でた豚肉 Thịt Luộc と共に、
揚げ豆腐を引き立たせています。レタスだけではなく香草があれば申し分ないところです。
生春巻き Gỏi Cuốn も頂いてみます。
デザートは、タピオカぜんざいとメニューブックに記されていた Chè Bưởi が用意があるとのことでお願いし、
コーヒーも頂きました。
阪神電鉄神戸高速線高速長田駅が最寄り駅のお店で頂ける美味しい料理の数々は →「フォーハチキュウ Pho 89(神戸市長田区)」
Pho 89
フォーハチキュウ
神戸市長田区梅ケ香町 2-4-5
素揚げ牛蒡の和え物 @ カラピンチャ Karapincha (神戸市灘区)
日曜日の昼下がり神戸方面に出かける機会が有り、「カラピンチャ Karapincha」さんへ伺いました。この日のお目当ては、ネパール料理のタルカリ Iskus (Iskush) ko Tarkari で頂く機会の多い好物の隼人瓜(はやとうり)の煮物でしたが、残念ながら既に売り切れていました。スリランカでは Chow chow と表記されるようです。もう一つのお目当ては、素揚げ牛蒡の和え物です。以前にお店のブログで、Publis Silva シェフ来日の際、お店に呼ばれた時に、牛蒡をスリランカの根菜 කොහිල コヒラ Kohila に見立て調理したことを記されていましたので、勝手に楽しみにしていました。マグロのアンブルティヤルも残念ながら既に売り切れ、この日もメインはチキンでお願いしました。ご飯をスリランカ産サンバライスに変更、ベトナム産生のココナッツを使ったポルサンボーラ、ルヌデヒ、シンハラアッチャールも追加でお願いしました。最近、EGBもよく一緒にお願いします。
副菜は、レンズ豆カリー、ケールのさっと煮、
その素揚げ牛蒡の和え物、じゃが芋の煮物です。
ヤシの花蜜かけヨーグルトも付いており、
キリテーは追加で頂きました。
阪急神戸線王子公園駅近くのお店で頂ける美味しい料理は
→「カラピンチャ Karapincha(神戸市)」
カラピンチャ Karapincha
神戸市灘区王寺町1-2-13
http://karapincha.jp/blog/
https://twitter.com/karapinchajp
https://ja-jp.facebook.com/karapincha.jp/
クワティモモ Kwati Momo @ ヴウェチェ(ボエチェ)Bhwe Chhen (大阪市淀川区)
グランドオープン後の「ヴウェチェ(ボエチェ)Bhwe Chhen」さんを、ディナータイムに訪れました。 残念ながら、カジャセットやダルバートなどはメニューブックに載っていません。アラカルトでの注文になり、チキンチョイラとクワティモモ、ミックスチャタマリをお願いしました。チキンチョイラはすぐに供されましたので、作り置きの冷製で、
クワティモモは、豆沢山のスープ Kwati ko Jhol にモモが入っており、ラジマ、ボリ、チャナ、マスなどが使われています。他の豆の詳細を店員さん尋ねてみましたが、オーナーが居られる時の方が教えて頂けそうです。
ミックスチャタマリまで頂くと2人でも満腹になりました。
大阪メトロ西中島南方駅、阪急京都線南方駅近くのお店で頂ける、美味しい料理の数々は、 →「ヴウェチェ(ボエチェ)Bhwe Chhen(大阪市淀川区)」
Bhwe Chhen
ヴウェチェ(ボエチェ)
ネパール伝統料理
大阪市淀川区西中島 4-6-4
水牛のモモ Buff Momo @ ダルバート食堂 (大阪市中央区)
ディナータイムに「ダルバート食堂」さんで供されるモモが、10月から水牛のモモに変更になりました。お願いし、砂肝のチョイラ、
鴨のチョイラも追加で頂きます。
この日のダルがシミとのことで、
タカリダルバートを骨付き山羊肉で、
ミニチキンカリー追加でお願いしました。
気になっていたドライフルーツのアチャールも頂いてみました。デーツがメインの様です。
チヤも頂きました。
大阪メトロ谷町線谷町四丁目駅からも近い、お店で頂ける美味しい料理の数々は
→「ダルバート食堂(大阪市中央区)」
ダルバート食堂
大阪市中央区内久宝寺町3-3-16
http://dalbhat-shokudo.com/
https://twitter.com/dalbhat_nepal
https://www.instagram.com/dalbhat_shokudo/
干し芋茎入りマス、ムスロ、ガハットのダル @ ネパールのごちそう jujudhau ズーズーダゥ (池田市)
最近はダルに色々な仕掛けがある「ネパールのごちそう jujudhau ズーズーダゥ」さんの週末スペシャルダルバートです。今週のダルは、定番のマス、ムスロにガハットが加わり、干し茎芋(ずいき)Karkalo ra Gaaba も相まって、味も食感も楽しめます。
マスはチキン、
タルカリは里芋とカロチャナ、
アチャールは 3 種類です。果物シリーズは、柿が自家製のクリームチーズと一緒にアチャール仕立てで、
大根は干し小魚の粉末と一緒に、
砂肝はフライした大蒜との組み合わせです。
ご飯の傍らにはパパドゥと青菜炒め、上には大根のスパイス炒めが添えられています。
この日もオプションに、山羊の内臓のスパイス炒め、ブトンが用意されていましたのでお願いしました。
デザートにはズーズーダゥ、
チヤも頂きました。
阪急宝塚線池田駅すぐのお店で頂ける、美味しい料理の数々は
→「jujudhau ズーズーダゥ(池田市)ネパールのごちそう」
ネパールのごちそう
jujudhau
ズーズーダゥ
パイナップルカリー その2 @ シャンティランカ Shanthi Lanka (宝塚市)
「シャンティランカ Shanthi Lanka」さんのライス&カリーの副菜にパイナップルも時々登場しますが、この日はテルダーラではなくカリー仕立てでした。メインはチキンでお願いし、
副菜はハールメッソとオクラ、そのパイナップル、
小松菜、ビーツ、カトゥレット、ポルサンボーラ、パリップと並びました。
デザートはワタラッパンと、ヨーグルトのマンゴーソースです。
阪急宝塚線山本駅近くのお店で頂ける、美味しい料理の数々は
→「シャンティランカ Shanthi Lanka(宝塚市山本)」
Shanthi Lanka
シャンティランカ
宝塚市平井2丁目7-11
https://twitter.com/shanthi_lanka
象耳魚 Elephant Ear Fish @ MEKONG TRAM DUNG (Long An)
クチトンネルでの観光を終え、メコンデルタツアーに向かう途中、昼食は「Mekong Trạm Dừng (Mekong Rest Stop)」で摂る段取りがされていました。ツアー客専用レストランです。他の団体客とは離れた静かなテーブルに案内されました。
何種類か価格設定があるのかも知れませんが、メニューです。
飲み物とチップは含まれていません。追加でココナッツジュースをお願いします。
メニューの順番に、海老と豚の揚げ春巻き Chả giò tôm thịt、
メコン風バインセオ Bánh xèo Mekong、
風船餅 Xôi chiên phồng、
象耳魚の姿揚げ Cá tai tượng chiên xù、
豚の串焼き Heo nướng xiên、
メコン風炒飯 Cơm chiên Mekong、
ミトー風ライスヌードル Hủ tiếu Mỹ Tho、
果物 Trái cây と並びます。
MEKONG TRAM DUNG
Mekong Rest Stop
KM 1964+ 300 National road 1A, Vietnam
ブンダウマムトム Bun Dau Mam Tom @ クアンオンニャット Quan Ong Nhat (大阪市生野区)
ブンダウマムトムが頂けるらしいとのことで、JR大阪環状線寺田町駅の近くのベトナム料理店「クアンオンニャット Quán Ông Nhật」さんを初めて訪れました。軒先テントには Saigon Coffee & Street food と記されています。メニューブックを眺め、
蓮の茎サラダ Gỏi Ngó Sen、
揚げ春巻き Chả Giò 、
牛ミンチのロットの葉包み Bò Lá Lốt、
ブンダウマムトム Bún Đậu Mắm Tôm をお願いし、
デザートにチェー Chè と
ベトナムコーヒー Cà Phê Sữa Nóng を頂きました。
Quan Ong Nhat
クアンオンニャット
大阪市生野区生野西 2-2-1
ベトナム戦記 開高健著 朝日新聞社
ベトナム戦記
開高健 著
朝日新聞社
1990年10月20日 第1刷発行
読売新聞の特派員であった日野啓三氏が、本書の最後に解説「限りなく“事実”を求めて」と題して記された文章を引用すると、
この本は一九六四年末から六五年初頭にかけて、開高健がサイゴン(現ホーチミン市)から「週刊朝日」に毎週送稿したルポルタージュを、帰国した開高自身が大急ぎでまとめて緊急出版したものである。
フリーカメラマンの岡村昭彦が岩波新書の一冊として出した「南ヴェトナム戦争従軍記」とともに、ベトナム戦争の現場で日本人が書いた最初の記念すべき書物であり、日本国内でベトナム戦争への関心を一挙にかきたてた歴史的な書物でもある。
とのことです。ベトナム戦争のルポルタージュとして称賛される本書ですが、読み進めていくうちに、違和感を少し覚えます。ベトナム人の“七つの顔”の章では、自身が日本の小説家と自己紹介すると、多くの知識人が教えてくれたという艶話が記されていたり、他のルポルタージュでは必ず記されている、戦争の状況に関するアメリカ顧問団(1962年2月設置)などからの情報の収集に関する詳細な記載が乏しい事についてです。確かに、南ベトナム政府が弾圧してきた仏教徒の反政府デモなど、仏教徒側の話はよく聞き、多く記されています。しかし結論として、
『人民のために働いてくれる政府』を求めて現在の政府を否定する情熱は激しいけれど、解放戦線と妥協、握手、または平和共存については、みんな全的否定、または悲観的、かつ、逃避的な意見しか述べないのである。(中略)私にとっては不思議であった。何故かわからなかった。
と記し、仏教徒が北ベトナムにおける例を挙げ、共産主義は宗教活動を圧殺し去ることを開高氏に説くと、
私は北ベトナムについての事実を知らなすぎるのである。
と、ベトナム戦争の本質で、一番重要な点を曖昧にしています。1960年12月20日設立の『解放民族戦線』が、1959年5月13日の北ベトナム労働党の第15号決議によって樹立され、「人民改革党」と名乗り実態を隠ぺいしていた「北」党の南部中央局の直接指示を受けていた事実を、仏教徒は共産主義への鋭い警戒と疑いの中で既に気が付いていたのかも知れません。後になって開高氏はべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の設立時に中心的役割を果たしたにもかかわらず、その運動から距離を置くようになったのは、反米左派勢力に強く反発したからとされていますが、北ベトナムの事実を知ることとなったからでしょうか。
最後に、アメリカ軍の手配で、ベンキャット (ベンカト、Bến Cát、Lai Khê) 基地まで行きベトナム共和国陸軍(南ベトナム政府軍)に従軍し、サマック作戦に同行し九死に一生を得たことが記されています。ベンキャットの現在は、Vietnam War Travel – Discovering the hidden places from the Vietnam War の Lai Khe Base Campの記事に
Along route QL13, also known as Thunder Road, there were a string of bases during the war. One of the most important ones was Lai Khe, which served as base camp for the 1st Infantry Division from 1965-1972 along with several other American units over different periods of time. The base camp was the headquarters for the 3rd Brigade with the division headquarters not far away in Di An. The other brigades were stationed at Quan Loi, Phuoc Vinh and Dau Tieng. It was a well chosen site, right on the highway, and together with its large runway and relative proximity to Saigon, supplies could be brought in fairly easily via both road and air. Another 70 kilometers up the road, a Special Forces Camp was located in Loc Ninh.
Being located so close to Saigon meant it was an important part of the city’s outer defenses as PAVN forces later in the war would push down QL13 during its attacks. At one point, it was one of the most active areas when it came to PAVN and VC activities. Being so close to the Iron Triangle, it also meant that many operations were launched from the base even as it was a constant target for enemy attacks.
と記され、現在の周囲の様子の映像も見ることが出来ます。サマック作戦とありましたので sa mạc (砂漠)作戦かと思いきや、読み直してみるとベンキャットから北方の地名の様です。開高健記念館の web site での、企画展「開高健とベトナム」の地図では、10キロ北方で13号線より西の様です。Lai Uyên の辺りのはずですが、Xa Mac などの地名で Google map 等で探してみても見当たりません。
ベトナム戦争当時のサイゴンでの開高健氏をよく知ると言われる仁平宏氏が、この「ベトナム戦記」について、ある web site で論評されています。
開高は、帰国直後の足で箱根に一週間籠り、猛烈な想像(妄想)力を発揮して殆ど徹夜作業で編集して緊急出版したものだ。編集記者もその一週間ぴったり開高に張り付いた。開高自身も「ベトナム戦記」は“真っ赤なニセモノかどうか分らなくて書き上げた”と自ら語っている
残念ながら、今となっては開高健氏の反論を聞くことが出来ません。
下の写真は、開高健氏も見たであろう、マジェスティックホテルサイゴンから見た夜明けです。