10万個の子宮
あの激しいけいれんは子宮頸がんワクチンの副反応なのか
村中璃子著 平凡社
2018年2月7日 初版第1刷
産婦人科医としてご活躍され、現在は兵庫県予防医学協会にお勤めの、谷俊郎先生が寄稿された文章を拝読して、この本が刊行されたことを知りました。
傘寿の寄稿文依頼が届きました。さて何を書けば良いのやらと思案していた矢先にネット配信で次のようなニュース項目が目に留まりました。
「子宮頚がんワクチンの安全性発信、村中医師が受賞 12月18日19 : 58配信朝日デジタル」
内容は「子宮頻(けい)がんワクチンの安全性を発信してきた医師でジャーナリストの村中璃子氏が、英科学誌「ネイチャー」などが主催する「ジョン・マドックス賞」を受賞した。日本人として初という。受賞を受けて村中氏らは18日、都内で会見を開いた」と言うものでした。
ウイキペデイアによりますと、ジョン・マドックス賞は公共の利益に関わる問題について健全な科学とエビデンスを広めるために、障害や敵意にさらされながらも貢献した個人に与えられる2012年に始まった国際的な賞とありました。村中璃子氏は一橋大学卒業後同学院で国際社会学を専攻され、その後北海道大学医学部に入学、医師免許取得後はWHOの新興国感染症チームに所属して感染症対策に従事されました。帰国後は肺炎球菌の疫学調査に取り組まれ、この調査研究が厚労省に引き継がれて肺炎球菌ワクチンの定期接種に繋がったと言われています。 2016年から京都大学大学院医学研究科の講師に就任された才媛です。
抗生物質の効かないウイルス感染症に対してはワクチン接種による免疫力で感染を防止するのは最善の手段です。しかしワクチンという異物を身体に植え付けることによって、古くはジェンナーの種痘以来数多くの副反応や社会問題が発生してきました。
子宮類がんはヒトパピローマウイルス(HPV)の性感染によって発生します。従って初交前の中高生に対して2013年4月から公費負担の定期接種が開始されました。ところが皆様もご存知の通り、子宮頚がんワクチンを接種した少女が稀に全身の疼痛や痙攣を発症するということがメディアによって大々的に報じられ、接種との明確な因果関係は不明のまま厚労省は定期接種の積極的勧奨を取り止め、被害者団体は国と製薬会社を相手取って訴訟を起こしています。その結果、我が国の子宮頚がんワクチン接種率は70%台から1%以下に著しく低下しています。
また「症状はあれど証拠なし」の少女達に有効な治療法が見つからないまま、医学的なエビデンスを無視した感情的なワクチン反対運動も展開されるようになりました。
厚労省から委託を受けてこの問題を調査していた信州大学脳神経内科学教室の池田修一教授ら(池田班)は、2016年3月に子宮顕がんワクチンが特定の白血球型の人に「自己免疫」というメカニズムで脳神経に障害をもたらすという仮説を立て、動物実験によってこれを証明したと発表しました。メディアはこれでこの不可解な症状の証拠が挙がったと大々的に報道しました。
他方、2015年12月に名古屋市が、市内に住む若い女性約7万人を対象に行った調査と、2016年12月に厚労省研究班(阪大祖父江教授ら)が行った全国調査では、ワクチン接種と有害事象の間に因果関係は証明されませんでした。
この膠着状態に危機感を抱いて独自の調査を行って警鐘を鳴らしたのが村中氏でした。
2014年から取材を開始して、少女に見られる痛みや痙攣などの発作は接種以前から小児科医達は心因性の反応として接種とは無関係に数多く経験していたこと、前述の信州大学池田班の報告には不正や捏造があることを厳しく指摘しました。
これを受けて信州大学では調査委員会を設けて調査した結果、池田教授の報告は不適切であると判定し、厚労省もこれを認めました。
2016年3月30日、「全国子宮頚がんワクチン被害者連絡会」が国と製薬会社を相手取って訴訟を提起しました。支援するのはHPVワクチン薬害訴訟全国弁護団です。
2016年8月17日、池田教授は村中氏と出版元の月刊誌「Wedge」を名誉毀損で告訴しました。
訴訟が提起された段階で論争は科学論争から法廷闘争に移ってしまいました。
村中氏はワクチン反対運動を科学的なエビデンスを無視した薬害騒動と捉え、日本から世界に波及することに警鐘を鳴らす報道を2015年から雑誌やウェブサイトなどで積極的に行いました。しかし訴訟が提起されてからは彼女の論文の掲載を断る出版社が続出し、彼女を誹膀中傷する抗議文が多数寄せられるようになりました。
こうした中で2017年12月、科学界のピュリッツァー賞とも言われる「ジョン・マドックス賞」が彼女に授けられたのです。
現在我が国の子宮頚がん患者数は年間約1万人といわれ、約3千人が死亡しています。しかも20代30代の若い女性の罹患が増えています。適切な治療によって命を失うことを免れても治療の結果、妊娠する能力を損なう可能性があります。
既にワクチンを導入している欧米諸国では子宮頚がんの前がん病変の発生が半減したという報告があります。
わが国が子宮頚がんの後進国に陥らないよう、一日も早いHPVワクチンの積極的な接種勧奨の再開と、症状を訴える少女たちの救済が望まれます。
WHOは2015年12月に我が国のワクチン接種勧奨の中止を、乏しい根拠に基づいた政策決定であると名指しで批判しました。
日本産科婦人科学会や日本小児科学会も一刻も早い接種勧奨の再開を求める声明を発表しています。
村中氏は受賞式のスピーチで苦しかった道程を振り返るとともに、ワクチン接種の再開が10年遅れることによって「10万個の子宮」が損なわれると述べました。
そしてスピーチの最後を次のように締めくくっています。
『・・・今週に入ってから、9番目に話をした出版社である平凡社から、本の刊行を決定したという連絡をもらった。本はできている。本のタイトルは「10万個の子宮」という。』
本稿執筆中の本年2月7日、「10万個の子宮」の初版は発売され手元に届きました。
ジョン・マドックス賞の審査委員会の講評を、本書の「はじめに」の中で
「子宮頸がんワクチンをめぐるパブリックな議論の中に、一般人が理解可能な形でサイエンスを持ち込み、この問題が日本人女性の健康だけでなく、世界の公衆衛生にとって深刻な問題であることを明るみにしたことを評価する。その努力は、個人攻撃が行われ、言論を封じるために法的手段が用いられ、メディアが委縮する中でも続けられた。これは困難に立ち向かって科学的エビデンス(証拠)を守るというジョン・マドックス賞の精神を体現するものである」
と引用されており、
これは日本という国への警告である。
とも記されています。
その受賞を知らせる、The Guardianの2017年11月30日付け記事「Doctor wins 2017 John Maddox prize for countering HPV vaccine misinformation」から抜粋していくと、
Muranaka was praised by colleagues for her courage and leadership as she endured insults, litigation and attempts to undermine her professional status as the HPV vaccine came under attack in Japan. While the jab is used without fuss in many countries, in Japan and some other nations, fears raised by campaigners have hit vaccine uptake rates.
と彼女の苦境がはっきり記述され、
Muranaka said sensational media coverage helped spread unfounded fears over the HPV vaccine across Japan. “I was really surprised that people believed it so easily. With screening and this vaccine, we could prevent many deaths from this disease in Japan, but we are not taking the opportunity,” she said. A handful of other countries are witnessing similar trends, with Ireland and Denmark both experiencing falls in HPV vaccination rates.
マスコミの報道のあり方にも釘を刺しておられますが、当のマスコミの多くは今回の受賞の会見にも現れず、報道もしない事で、彼女を無視し続けるだけの様です。
NHKは全員が忙しいとのことで、会見に1人の記者も出さなかった。
この問題を考えた時に、海外の予防接種の専門家も、攻撃的で否定的なソーシャルメディアやネガティブな個々の話にバイアスがかかった主流のメディアの影響と共に、国がしっかりとこのワクチンや免疫科学を擁護しない点に言及されています。
Heidi Larson, director of the vaccine confidence project at the London School of Hygiene and Tropical Medicine said there was no scientific evidence linking HPV to the reported neurological symptoms. “The dramatic drop in vaccine acceptance has been influenced by aggressive negative social media, mainstream media that has been biased towards the negative personal stories, as well as, and very importantly, the government not standing up for the vaccine and the vaccine science in the face of public anxiety and uncertainty,” she said.
本書「序章 並べられた子どもたち」の中で、
昨今、科学的根拠に乏しいオルタナティブファクトやフェイクニュースが、専門的な知識を持たない人たちの「不安」に寄り添うように広がっている。筆者は医師として、守れる命や助かるはずの命をいたずらに奪う言説を見過ごすことが出来ない。書き手として、広く「真実」を伝えなければならない。これが本書を執筆することになったきっかけである。
「第1章 子宮頸がんワクチン問題とは何か」の中では、
医学会からは、記事を発表後、驚くほど多くの賛同の声が寄せられるようになった。一方で、製薬会社の回し者だ、国のプロパガンダを広げる御用医師だ、WHOのスパイだといった根も葉もない中傷を寄せる人もいた。問題の根の深さを考えると、そういった反応があるのは想定の範囲内だったとも言える。しかし、考えてみてほしい。この記事を書くことはリスクになれど、どんな得になるというのだろうか。
と、逆境の中で真実を見極めようとした著者の決意が述べられています。さらに「あとがき」で、
小さな危険のサインを見逃さないことも大切だが、解析に耐える規模のデータをもとにバイアスを排除した解析を行うのが科学。経験は限られていることを念頭に置き、逸話的症例に飛びついて誤った結論を出さない謙虚さも必要だ。
と、医学は科学でもあり、データをきちんと解析して、社会全体の利益を見据えなけばならないという、ごく当たり前の事に触れられています。
WHOはHPVワクチンの安全性について、日本を名指しの上、言及しています。
Safety update of HPV vaccines
Extract from report of GACVS(Global Advisory Committee on Vaccine Safety) meeting of 7-8 June 2017, published in the WHO Weekly Epidemiological Record of 14 July 2017
Where HPV vaccination programmes have been implemented effectively, the benefits are already very apparent. Several countries that have introduced HPV vaccines to their immunization programme have reported a 50% decrease in the incidence rate of uterine cervix precancerous lesions among younger women. In contrast, the mortality rate from cervical cancer in Japan, where HPV vaccination is not proactively recommended, increased by 3.4% from 1995 to 2005 and is expected to increase by 5.9% from 2005 to 2015. This acceleration in disease burden is particularly evident among women aged 15–44 years.28 Ten years after introduction, global HPV vaccine uptake remains slow, and the countries that are most at risk for cervical cancer are those least likely to have introduced the vaccine. Since licensure of HPV vaccines, GACVS has found no new adverse events of concern based on many very large, high quality studies. The new data presented at this meeting have strengthened this position.
名古屋市の7万人調査に関して、結果は
子宮頸がんワクチンが、日本人の間で「薬害」というレベルの副反応を引き起こしている可能性がないことを科学的・免疫学的に証明している。
にも拘わらず、名古屋市の不可解な対応も詳細に本書で記されています。
当初、名古屋市は、鈴木教授の行った最終解析が論文の形でも世に出ることに難色を示し
たそうですが、その名古屋市立大学鈴木貞夫教授の論文が刊行されることになりました。
Sadao Suzuki and Akihiro Hosono: No association between HPV vaccine and reported post-vaccination symptoms in Japanese young women: Results of the Nagoya study. Papillomavirus Research. 96-103. 2018
The results suggest no causal association between the HPV vaccines and reported symptoms.
日本産科婦人科学会も平成29年8月28日付けでHPVワクチン(子宮頸がん予防ワクチン)接種の積極的勧奨の早期再開を強く求める声明を出しています。
HPVワクチンは、子宮頸がんの一次予防を目的として平成25年4月に定期接種化されましたが、同年6月にその接種の積極的勧奨が中止され4年以上が経過しました。日本産科婦人科学会は、平成27年8月および29年1月に、本ワクチン接種の積極的勧奨再開を求める声明1,2)を発表してきましたが、今回、以下の根拠に基づき、再度HPVワクチン接種の積極的勧奨の一刻も早い再開を強く求めます。
子宮頸がんは20〜40歳代の女性で増加しており、国内では年間1万人以上が罹患しています。また年間約2900人が死亡し3)、過去10年間で死亡率が9.6%増加しています4)。子宮頸がん予防のためには、一次予防としてのワクチンが、二次予防としての検診(細胞診)とともに必須であることはグローバルコンセンサスとして確立しています。HPVワクチン接種を国のプログラムとして早期に取り入れた英国・豪州などの国々では、ワクチン接種世代のHPV感染率の劇的な減少と前がん病変の有意な減少が示されています5)。一方、日本においては平成22年度からHPVワクチン接種の公費助成が開始され、その対象であった平成6〜11年度生まれの女子のHPVワクチン接種率が70%程度であったのに対して、平成25年6月の接種の積極的勧奨中止により平成12年度以降生まれの女子では接種率が劇的に低下し、特に平成14年度以降生まれの女子では1%未満の接種率となっています6-8)。その結果として、将来の日本では、接種率が高かった世代においてはHPV感染や子宮頸がん罹患のリスクが低下する一方で、平成12年度以降に生まれた女子ではワクチン導入前世代と同程度のリスクに戻ってしまうことが推計されています8-10)。この負の影響を少しでも軽減するためには、早期の積極的勧奨の再開に加え、接種を見送って対象年齢を超えてしまった世代にも接種機会を与えることも検討する必要があります9-11)。
WHO(世界保健機関)は平成27年12月の声明の中で、若い女性が本来予防し得るHPV関連がんのリスクにさらされている日本の状況を危惧し、安全で効果的なワクチンが使用されないことに繋がる現状の政策決定は真に有害な結果となり得ると警告しています12)。さらに平成29年5月に発表されたHPVワクチンに関するWHO の最新のPosition paper 13)では、9〜14歳の女児に対しては2回接種(15歳以上は3回接種)を推奨しており、日本で承認されている2価、4価のHPVワクチンに加えて、日本で未承認の9価ワクチンも高い安全性と有効性を示し、これらの接種を国のプログラムに導入することを強く推奨しています。日本では公費接種対象年齢が12〜16歳であり、2回接種の導入は現状では直ちには困難であり、先進国を中心とした世界のHPVワクチン接種推進の流れに大きく遅れをとっています。
国内においても本ワクチンの有効性に関する複数の研究が進行中であり、そのデータも蓄積されてきています。
- 平成27年より厚生労働省科学研究「革新的がん医療実用化研究事業」14)として新潟県において開始されたNIIGATA STUDYでは、平成28年度までに登録完了したワクチン有効性の中間解析において、20〜22歳におけるHPV16/18型の感染はワクチン非接種者に比してワクチン接種者で有意に低率であり、大阪府で行われているOCEAN STUDYでも同様の結果でした。
- 宮城県における平成26年度の20~24歳女性の子宮頸がん検診データの解析では、HPVワクチン接種者のASC-US以上の細胞診異常率は有意に減少していました15)。秋田県における子宮頸がん検診のデータでも同様の結果が示されています16)。
- 国内21施設で前がん病変および子宮頸がんと診断された女性のHPV16/18型感染率を調べる観察研究(MINT Study)において、20~24歳ではHPV16/18型感染率が有意に低下し、出生年コホートでは症例数は少ないものの、前がん病変(CIN2-3/AIS)におけるHPV16/18型感染率が昭和61〜平成5年生まれに比して平成6〜7年生まれでは有意に低下していました17)。HPV16/18型は日本人の20歳代の子宮頸がんの90%、30歳代の76%の原因となっていることから18)、HPV16/18型感染の減少により、今後子宮頸がんの減少も証明されるものと期待されます。
今後のさらなる症例の蓄積と解析結果に基づいて、国内での本ワクチンの有効性が示されてくるものと考えます。
一方、ワクチン接種後に報告された『多様な症状』に関しては、国内外において多くの解析が慎重に行われてきましたが、現在までに当該症状とワクチン接種との因果関係を証明するような科学的・疫学的根拠は示されておらず、WHOは平成29年7月の最新のHPVワクチンSafety updateにおいて、本ワクチンは極めて安全であるとの見解を改めて発表しています19)。平成28年12月開催の第23回副反応検討部会6)では、厚生労働省研究班(祖父江班)による全国疫学調査の結果に基づき、HPVワクチン接種歴のない方でも、HPVワクチン接種歴のある方に報告されている症状と同様の『多様な症状』を呈する者が、一定数(12〜18歳女子では10万人あたり20.4人、接種歴不明を全員「接種歴なし」と仮定した場合46.2人)存在することが報告されました20)。また平成29年7月の第28回副反応検討部会においては、厚生労働省研究班(牛田班)から、HPVワクチン接種歴があり症状を呈する方に対する認知行動療法的アプローチの効果に関する解析結果が示され、症状のフォローアップのできた156例中、115例(73.7%)は症状が消失または軽快し、32例(20.5%)は不変、9例(5.8%)は悪化したと報告されました21)。今後も私どもは、HPVワクチンの接種の有無にかかわらず、こうした症状を呈する若年者の診療体制の整備に、他の分野の専門家と協力して真摯に取り組んでまいります。
日本産科婦人科学会は、将来、先進国の中で我が国に於いてのみ多くの女性が子宮頸がんで子宮を失ったり、命を落としたりするという不利益が、これ以上拡大しないよう、国が一刻も早くHPVワクチン接種の積極的勧奨を再開することを強く求めます。