MileagePlusのマイルを使いANAの国内線特典航空券を利用しました

昨年の秋、大阪から東京に向かう際、United AirlinesのマイレージプログラムMileagePlusの特典を使う形でANAを利用しました。いつもはJALの特典航空券を使うのですが、当日のスケジュールの都合からの選択でした。ITM→HNDのJAL便は昼間大体毎時0分出発であり、ANAは毎時30分の出発となっています。当初考えた時刻のJAL便では、大阪での仕事の段取りから考えると、ぎりぎりか、間に合わない状況も生じそうでした。1時間後のJAL便にすると、今度は東京での用事に間に合わない可能性がありました。30分後のANA便がその問題を解決できそうでした。MileagePlusの5000マイルで、片道の特典航空券が利用できますので、さっそくweb siteから予約しました。「united.comのご予約」と題する確認のメールが来て、すぐに「MileagePlus eTicket Itinerary and Receipt for Confirmation XXXXXX」とeTicketも送られてきました。

ネットで他の方の体験談を検索して予習してみたのですが、空港での発券には自動チェックインの機械を使えない様で、有人のカウンターに行かねばならない様です。

当日フライトの1時間10分前には伊丹空港に着き、発券カウンターに行ってみると長い行列です。しかも職員が実質一人で対応しており、列は遅々として進みません。当日の大阪での仕事は何とか早く済み、結果最初に考慮したJAL便でも十分間に合った位で、まずは最初の後悔です。ようやく順番が来て発券してもらい、その際に担当の係員に尋ねたら、自動チェックイン機でもチェックインできますとの答えでした。事前の座席指定も出来ない様ですが、eTicketにはすでに比較的前方の窓側の座席番号が記されており、発券時も同じ座席番号でした。

散々並び疲れて、出発時刻も迫ってきたため、すぐに保安検査場へ急ぎました。ここでもすごい行列です。JAL側の保安検査場では経験したことのない長蛇の列です。出発時間が迫り、搭乗する羽田行きの乗客を別レーンで通し始めました。検査を終え、出発掲示を見ると、遅延と出ていました。搭乗口辺りも人込みです。乗るべき飛行機は既に駐機していますが、機体整備のため遅延、詳細はまた追って伝えるとの放送があり、その後もその案内の時刻が先送りされ、最終的に約1時間の出発遅延となりました。

少しでも羽田に早く着こうとANA便にしたものの、選択を回避した出発が30分遅いJAL便の方が先に着く結果となりました。しかも伊丹空港で長い列に2回も並ぶことになり疲れてしまい、散々な初利用でした。

後日改めてチェックインの方法をANAに問い合わせてみると、「016から始まる13桁のeTicket予約番号が『国際線予約番号』となり、その番号を自動チェックイン機で入力すれば良い」との回答でした。以降、まだ実際には試していません。

THE BOYS IN THE BOAT ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち

2020年東京オリンピックのボート、カヌーの開催場問題が、毎日の様にニュースになっていました。残念ながら、ボート(漕艇、rowing)の競技自体に関心のある日本人は多くない中、ニュースの話題性が専ら「小池さんvs森さん」ばかりに集中し、真の競技場問題と大きく乖離していたのが残念でした。注目を集めたせっかくのこの機会に、ボート競技の素晴らしさなども併せてアピールする度量が小池百合子都知事にあればと思ったのは私だけではないと思います。

ボート競技の美しさを、本文からの抜粋で腰巻に記載しています。

漕手全員がたがいを鏡に映したように完全に同調し、端から端まで一糸乱れぬ動きができたとき、ボートはまるで解き放たれたように、優美に、すべるように進む。その瞬間、初めてボートは漕手たちの一部となり、それ自体が意志をもつかのように動きはじめる。苦痛は歓喜に変わり、オールのひと漕ぎひと漕ぎは一種の完璧な言語になる。すばらしいスイングは、詩のようにさえ感じられる。

 

THE BOYS IN THE BOAT

Nine Americans and their epic quest for Gold at the 1936 Berlin Olympics

Daniel James Brown

ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち

ボートに託した夢

森内薫訳
早川書房 ¥3000+税
2014年9月25日 初版発行

「訳者あとがき」には、本書の意味が上手く記されています。

本書の冒頭を読めばわかる通り、著者のブラウンがこの物語を書くことになったのは、ある偶然によります。ホスピスケアを受けていた主人公ジョー・ランツと知遇を得たブラウンは、ボートの話に心を惹かれ、それをテーマに本を書くことを思い立ちます。ジョーの死後はその娘やチームメイトの家族に幾度も取材を重ね、古い新聞や資料、コーチの日誌や手記、メンバー数人がつけていた日記などを綿密に検証し、ほぼ当時のまま残されているベルリンの競技場をその目で見、五年近い幾月をかけて本書は書き上げられました。あえて分類するなら<スポーツ小説>になるだろうこの物語は、主人公ジョー青年の成長の物語でもあり、大恐慌当時のアメリカを描いた歴史物語でもあり、そしてヒトラーのオリンピックを描いた物語でもあります。

アメリカで原書が2013年6月に出版され、2014年6月にはニューヨーク・タイムズ・ベストセラーのノンフィクション第一位(ペーパーバック部門)に登り詰めたとのことです。日本人があまり興味を持たない分野、付記も含めると600ページを超えるボリュームという点もあり、日本では販売数があまり期待できない中、邦題を付けるにも苦労されたとは思います。まず、多くのアメリカ人が買って読もうとした事にも驚きましたが、確かに読み応えのある本で、漕艇が好きな人にはたまらない本です。

訳者が最後に記しています。

2020年の東京オリンピックで、強豪クルーの戦いをこの目で見られることを願って

ソチオリンピック アイスホッケー予選 アメリカ対ロシア

2014年2月15日の夜、テレビをつけると、NHKで男子アイスホッケーのグループ予選、アメリカ対ロシアの生中継を開始するところでした。俄かNHLかぶれの私と息子は、画面を食い入るように見つめてしまいました。両チームともNHL選抜の様相を呈し、国の威信も加わったオールスター戦でした。

第1ピリオドはロシアやや優勢も互いに点が入らず、0対0のまま終了です。

第2ピリオド、9分15秒にロシアがDatsyukの先制点で1対0とリード。16分34秒にアメリカがパワープレーを生かし、Fowlerの得点で1対1に追いつきます。

第3ピリオド、9分27秒にまたまたパワープレーの機会に、アメリカがPavelskiの得点で2対1とリードするものの、12分44秒にロシアが逆にパワープレーでDatsyukが再度得点し、2対2に追いつきました。シーソーゲームの好試合が続きますが、残り4分40秒となったところで、ロシアのTyutinのショットがゴールネットを揺らします。ロシアの再逆転と皆が思ったところで、審判団が協議しビデオ判定の結果、ゴールが規定の位置からずれていたとのことで幻のゴールとなりました。IHFのルールの中に、No goal shall be allowed “if the net has been displaced from its normal position, or the frame of the goal net is not completely flat on the ice.”との決まりがあるのだそうです。そのまま以降は無得点のまま、計60分が終了しました。

次いで5分間のオーバータイム、延長戦に入りました。オーバータイムはフィールドの選手が1人減らされますが、ロシアの選手の反則が第3ピリオド終盤にあったため、最初の1分半くらいは4人対3人となりアメリカが有利でした。しかし得点を入れることが出来ず、そのままオーバータイムも終了しました。

決着はシュートアウト、サッカーで例えるとPK戦に持ち込まれました。ゴーリーとの1対1の勝負を、まず3回行います。
アメリカOshie 〇、ロシアMalkin ×
アメリカRiemsdyk ×、ロシアDatsyuk ×
アメリカPavelski ×、ロシアKovalchuk 〇
3人ずつ終わって1対1で決着がつきませんでした。

サドンデスでさらにシュートアウトが延長されます。ここからは、同じ選手が繰り返し登場しても良いルールです。
アメリカOshie ×、ロシアKovalchuk ×
アメリカOshie 〇、ロシアDatsyuk 〇
アメリカOshie 〇、ロシアKovalchuk 〇
アメリカOshie ×、ロシアDatsyuk ×
アメリカOshie 〇、ロシアKovalchuk ×

なんと、アメリカはOshieにすべて託す作戦にでて、その期待にOshieが応えました。まだ予選とはいえ、白熱した試合で、ゲーム自体を十分堪能することができました。

第3ピリオドのロシアのゴール取り消しの判定について、ロシアのファンは怒り、The New York Timesに、In Moscow, Russians Protest Disallowed Hockey Goal と題する2014年2月17日付けの記事がありました。

Dozens of Russian fans gathered Monday at the Moscow State Agroengineering University, some brandishing hockey sticks, to protest a disallowed goal scored by the Russian team in Saturday’s Olympic hockey match against the United States in Sochi, a decision that they felt cost them the game against their Cold War rivals.
A crowd of mainly students erected a large banner in front of the building reading, “Turn the referee into soap!”, a common Russian chant at sporting events, implying the referee is fit only to have his bones and body fat boiled down for soap.

当事者の審判がアメリカ人だったことも、怒りを買う理由の一つです。オリンピックとは言え、アメリカのNHLの協力が無くてはならない男子アイスホッケーですので、仕方ない面もあります。試合結果の詳細も、ソチオリンピックのweb siteを見るより、NHLのweb siteを見る方が良くわかりました。

NHL観戦記 ニュージャージーデビルズ vs ピッツバーグペンギンズ 2013

朝食をホテルで摂った後、息子と2人でアイスホッケーNHLのニュージャージー・デビルズの観戦に出かけました。前々日にも使ったニュージャージー・トランジットNJTを使ってニューアークにある試合会場プルデンシャル・センターを目指します。大晦日のタイムズスクエアの様子も少し見たいと、また徒歩でニューヨーク・ペンステーションまで7th St.を南下しました。午前10時過ぎにも拘わらず、すでにタイムズスクエア周辺の通行規制が始まっており、南からタイムズスクエアの方向には徒歩で行けないようになっていました。

ニューヨーク・ペンステーションから、名前がよく似ていて紛らわしいのですがニューアーク・ペンステーションまでは、地図の水色と赤色の路線の列車で行けるようです。

電光表示板にも、各路線の色付きで表示がされています。

窓口がすぐにあったので、そこで往復チケットを購入しましたが、奥にはチケットの自動販売機もありました。

NJTも2回目となると要領が少しわかってきて安心です。待合付近の椅子で待って、列車の出発ホームが案内されると、ホームに一斉に移動です。

席に着いて周りを見回すと、皆さんチケットを前の座席の背もたれの上にある金具に挟んでいます。システムがよく分かりませんが、取り敢えず、同じようにしておきました。出発してすぐに車内検札の係員がやってきて、それを回収したり、引き換えに小さな紙片を挟みこんだりしていきます。2つ目の駅で降りる私たちのチケットは回収していきました。前々日は、乗った列車が次の駅が終点で、乗り換えて皆NFLの試合を見に行くので、その乗り換えの駅に自動改札があるという理由で車内検札がなかっただけと理解しました。

ニューアーク・ペンステーションで降りると、皆がぞろぞろと歩いて行く方向について行くと、プルデンシャル・センターが見えてきました。

少し小雪も舞う天気ですが、前々日と違って今日は屋内リンクです。

観戦のチケットはニュージャージーデビルズの公式web siteからSingle Game Ticketsのカテゴリーで売り出されていたものを購入しました。NFLはTicket Exchangeを介してシーズンチケットホルダーが売りに出したものを買う形で、手数料も発生したのですが、今回は直接デビルズから買った形の様です。対戦相手によって5段階、席の種類によって21段階に区分された料金システムになっており、今回対戦相手のPittsburgの場合は上から2番目の料金体系が適応されています。Section 20で、その前が身体障がい者用席のため通常席のシートが無く視界の良さそうな席が2席残っていたので購入したのが、11月の末でした。もちろんNHLもTicket Exchangeを介してシーズンチケットホルダーから購入もできますが、今回購入した席よりコストパフォーマンスの良さそうな席はありませんでした。

IMPORTANT ALERT : There is a delivery delay on this event. Please check the Event Detail Page for information on when the delay will be lifted. Once the delay has been lifted, your tickets will be available via your selected delivery method.
If you purchase tickets for Rival or Elite games, and choose the print at home delivery option for your tickets, they will not be emailed to you until two weeks prior to game night. Rival and Elite games include: 10/4, 10/19, 11/2, 11/15, 11/16, 12/6, 12/31, 1/3, 3/20, 3/22, 4/4, 4/11, 4/13.

との注意書きもあり、e-ticketを自身でプリントアウト出来るのは、試合前2週間になってからとのことです。翌日に早速、以下のようなメールも送られてきました。

Don’t worry, your tickets are coming – whether you’re printing, going mobile, getting them in the mail, or planning on in-store pickup! This temporary delivery delay just gives us time to run routine checks that ensure all fans get a fair shot at seats, like confirming every buyer is a fan and not a bot, making sure everyone sticks to the ticket limit, etc.

転売防止などの意味があるのでしょうが、確かに2週間以内になると、きちんと内容が照会出来るようになり、プリントアウトも出来ました。このチケットはFire Loungeでの軽食、ソフトドリンク込みとなっていました。

プルデンシャルセンターの入口でセキュリテキィーチェックを受けエスカレーターで2階に上がっていくとコンコースとなっており、会場を1周できます。ぶらぶらとチームグッズを売っているショップを覘いたりして、帽子を買ったりしました。

Section 20そしてFire Loungeへの入口がこちらです。

中に入ると飲食スペースがあり、サラダから、ホットドック、ピザ、寿司、フライドチキンなどの軽食、デザートまで用意してあり、ソフトドリンクも含め無料です。アルコール類は有料なのでしょうが、頼んでいないので分かりません。その奥に観客席とリンクがあるのですが、立って飲食しながら試合が見ることができるように、観客席の間際にテーブルが配置されていました。そのテーブル付近からのリンクの眺めです。

試合開始時間が近づいてくると、選手が出てきて練習を開始します。お客さんたちも自分の席に着きはじめ、徐々に席が埋まってきます。ファンが着ているデビルズのユニフォームは、圧倒的に68番のフォワードJagrと30番のゴーリーBrodeurのものが多かったです。ともに41歳です。そのJagrを入れて撮ってみました。

上の方の席にはペンライトが配られているのか、会場の照明が落とされると、その白い光が揺れ、とても綺麗な光景になりました。そして、いよいよ、試合開始前の国歌斉唱です。席はいつの間にか満席になっていました。

対戦相手のピッツバーグ・ペンギンズはイースタンカンファレンスのメトロポリタン地区で首位を快走しており、ニュージャージー・デビルズにとっては分が悪く、敗戦を予想していました。

試合開始のフェースオフです。

試合開始早々1分38秒にHenriqueのショットが決まってニュージャージー・デビルズが先制点を取り、一気に会場が盛り上がりました。

テレビ放映のコマーシャルタイムのためか、アイシングの反則の後などに時間がとられます。その間、氷の表面が削れたものを係員のお兄さんたちが上手く集めて回っています。

試合は第2ピリオド2分45秒に、Ryderが追加点を決め2-0とリードを広げますが、同ピリオドに1点を返され2-1とされます。

その後はゴーリーBrodeurの好守備もあり、そのまま逃げ切り勝利です。

十数年前にアナハイムでマイティーダックスの試合を妻と観た以来の観戦でした。当時は、前もってチケットを買わずに直接会場に行き、窓口で待って試合直前に売り出された残りチケットを買いました。1人100ドル余りでリンクサイドの席も有ると言われたのですが、当時の我々にとっては大金で買うことを諦め、安い後方の席を購入しました。今回はリンクに近い席を大人買いしましたので、選手たちのスピードやぶつかり合いの激しさを間近で見て十分堪能しました。

年間指定席もきっと値段も高いはずにもかかわらず、会場はほぼ満席で、興行面でもしっかり成り立っていそうです。NFLも観客は殆ど白人でしたが、それ以上に、NHLは選手も白人ばかり、会場の観客も白人ばかりと、多人種で成り立つアメリカにおいては、ある意味特殊な世界です。初観戦の息子にもそのことを予め教えておいたのですが、何か感じ取ってくれたでしょうか。

会場からニューアーク・ペンステーションまで歩いて戻り、NJTでニューヨークに戻りました。列車にタッチの差で乗り遅れたのですが、すぐに後続の列車が来たので、駅では余り待つことなく帰ることが出来ました。

非常口座席 今昔

バックパッキングで旅行していた頃は、もちろん格安航空券でした。カウンターで指定されたエコノミーの後ろの方の席に文句も言わず座っていました。仕事で時に海外へ出かける様になると、United Airlinesの正規割引航空券を主に使うようになりました。座席も「非常口座席」を空港のカウンターでリクエストしてみる様になりました。足を伸ばして座る事が出来ること、それだけで至福でした。運良く?空いていれば、その席にassignしていただけました。その際には、緊急の場合は乗務員の英語に従い、脱出の介助ができるかどうかを常に確認されました。当たり前のことですので、それが航空業界の常識だと信じていました。理由は分かりませんが、意図してこれらの席がブロックされているのか、カウンターでassignしてくれない時も勿論ありました。その時は飛び立って暫くしてから、乗務員に席を移動して良いか尋ね、承諾をもらって移動したこともあります。これらはずいぶん昔の話です。今では、非常口座席も上級会員にしか割り振らないとか、追加料金の対象にしている航空会社もあるようです。

2006年にJALのLAX→KIX便に乗った時(その後この路線は廃止、最近また復活しました)、非常口座席に小さな子供連れの母親が座っていて驚きました。緊急の場合、乗客の脱出を手助けできる人のみが座るべき座席に、まだ小さな子供及びその母親を座らせないのは世界基準だと思っていましたので、帰国後JALに問い合わせをしてみました。木で鼻を括った様な回答があったのみでした。国土交通省が何も決めていないので、JALもそのような扱い、制限をしない、とのことでした。非常時の安全確保について社内でも議論されることはなかったのか、航空会社としての安全に対する姿勢に疑問を感じました。

年月が経て事情が変わるとJALもようやく2009年から対応する様になり、現在はJALのweb siteには以下の様に記されています。

 国土交通省の通達により2009年4月1日から、お客さまの安全を確保するため、非常口座席には以下のすべての項目を満たすお客さまに限りご着席いただくこととなりました。(2008年7月3日通達発行、2009年4月1日施行)

当該通達に従いまして、非常口座席をご希望されるお客さまには以下の内容の確認をさせていただきます。ご協力をお願いいたします。

1.満15歳以上の方(15歳未満の方はご指定いただけません)
2.ご搭乗に際して付き添いの方や係員のお手伝いを必要としない方
3.航空機ドアの開閉等、緊急脱出の援助を実施することができる方
4.脱出手順の案内および乗務員の指示を理解し、他のお客さまへ口頭で伝えられる方
5.緊急脱出時に同伴者の援助をする必要がない方
6.緊急脱出の援助を実施することに同意する方

迅速な脱出の援助をしていただくため、非常口座席に着席されるお客さまには、万一の場合、客室乗務員の指示のもと、緊急脱出時の援助をお願いいたします。
なお、当てはまらない項目がある場合、非常口座席の着席ができません。出発当日、空港、客室においても同様の確認をさせていただきますがご了承いただきますようよろしくお願いいたします。

 

NFL観戦記 ニューヨークジャイアンツ vs ワシントンレッドスキンズ 2013

子供の頃、田舎の放送局でもNFL(National Football League)のダイジェストを放送していました。すぐにルールも覚えましたが、実際の試合を見たことはありませんでした。2年余り暮らしたロサンゼルス近郊には当時NFLのチームはなく、なかなか観戦の機会が訪れませんでした。今度は息子がNFLに興味を持つようになり、その頃にスーパーボウルを制したのがニューヨークジャイアンツでした。以来、彼はNFL、特にジャイアンツの熱心なファンとなり、勉強で記憶すべき物理の法則や、化学式よりも、他チームも含め全選手の名前を覚えることを優先するようになりました。

NFLシーズンは9月に始まり、年末か年始でレギュラーシーズンが終わり、以降は負けたら終わりのトーナメント、ポストシーズンに入ります。今年も、丁度今頃がその佳境です。日本から観戦に出かけるには、仕事を休んでまでは行けませんが、仕事納め以降の正月休み期間であれば何とかなります。

NFLのチケット購入

NFLの各チームにとって、レギュラーシーズンは16試合しかなく、ホームゲームとなるとわずか8試合しかありません。人気チームはシーズンチケットで完売となり、1試合ごとのチケットを購入するには、そのシーズンチケットを持っている人から買わねばなりません。チケット業者に依頼する方法もあるのでしょうが、各チームのweb siteからTicketmasterを介して購入することが出来る仕組みが確立されています。

NFL Ticket Exchange: Buy and Sell Giants Tickets
You can also buy and sell Giants tickets and parking passes with NFL Ticket Exchange at NFL.com powered by Ticketmaster. Buy tickets direct from season ticket holders and other fans or sell your tickets for games you are unable to attend. For more details, visit the NFL Ticket Exchange.

座席の位置、どのセクションの何列目のどの番号の座席かも知ることが出来て、売り手が設定した値段で納得すれば、購入することが出来ます。もちろん、Ticketmasterにしっかり手数料もとられます。需要と供給のバランスですので、調子よい人気チームは値段も高く、終盤にかけポストシーズン進出の望みが絶たれたチームは安くなるのは必然です。直前に購入すれば、チームに負けが込んでいれば安くなるでしょうが、日本から見に出かける場合、航空券やホテルの手配と同時にチケットの手配もしたくなるので、シーズン前かシーズン序盤にチケットの購入をすることになってしまい、ほどほど高い値段になります。

New YorkからMet Life StadiumへNew Jersey Transitを使って

この年のNFLの第17週、ニューヨークジャイアンツは本拠地メットライフスタジアムでワシントンレッドスキンズを迎える最終戦です。当日行われる全16試合のうち、栄えある?結果がプレイオフに影響しない3試合のうちの1試合です。前日のニューヨークは快晴、気温もそこそこでした。当日は雨の確率100%で、レーダー予想でも南西から北東に雨雲が通過し午後に雨量が増えるとのことでした。

朝10時頃に6th Ave. & 53rd St. のホテルHilton Midtownから、7th Ave. & 32nd St.のNew York Penn Stationまで、Times Squareを通って、30分足らずの街中のお散歩です。まだこの時には、ほんのポツリポツリと雨粒が落ちる程度でした。

New Jersey Transitのweb siteで予め往復のチケット(1人10ドル)を購入、プリントアウトし持参していました。10時54分のSecaucus行きの列車の出発まで、時間を持て余してしまいました。ジャイアンツや、まれにレッドスキンズのユニフォームを着た人がいますので、彼らの後について行けば間違いはありません。どのホームから出発するかの10分前のアナウンスを合図に列車に乗り込みます。

この列車は次のSecaucusが終点、つまりジャイアンツの試合のための運行の様です。SecaucusでMeadowlandsへの列車に乗り換えです。乗り換えの際に、自動改札機があり、チケットを通すか、バーコードを読み取らせます。ホームで待っていると、10分くらいで、列車が入ってきました。Meadowlandsまでに停まる駅はありません。遠くにメットライフスタジアムが見えてくると、皆写真を撮っていました。いったん離れるように大きくカーブして駅に着きます。地図で見ると、大分遠回りした線路を走るようです。雨は本降りになっていました。目の前がメットライフスタジアムです。

Met Life StadiumのChase Clubへ

巨大なスタジアムに着いて、入口のゲートでセキュリティーチェックを受けます。ボストンでの爆破事件以降、透明な袋以外のかばん類や傘などは持ち込み禁止です。折り畳みの傘も、横のコンテナボックスの荷物預かりに預けねばなりません。金属探知機での検査もあります。シーズン開始前にTicket Exchangeで買ったチケットを手に建物の中に向かいます。席はSection 215にあり、暖かい屋内のChase Clubを使うことが出来ます。軽食や飲み物のための席が結構な数ありました。まずはそこで、ホットドッグ、チーズステーキサンドとソフトドリンクで腹ごしらえです。チームグッズを扱う小さなショップもあり、マフラー、グローブ、カードを息子が自身のお土産に買い、雨対策に薄っぺらのビニールのポンチョを2つ買いました。

NY Giants 最終戦は勝利

すでに地区3位は確定し、対戦相手のレッドスキンズも地区4位が確定し当時のエースQB、RG3は温存したままで試合には登場しません。残念ながら消化試合です。この年のジャイアンツのRB陣はDavid WilsonやBrandon Jacobsが怪我をして、Andre Brownも故障が多くコマ不足でした。WR陣はHakeem Nicksの去就が取り沙汰され、Victor Cruzは故障、Rueben Randleも怪我とこれまた精彩を欠いていました。代役となったRBのPeyton Hillis、WRのJerrel Jerniganがこの試合では結果を出しましたが、両者とも2014年シーズンを最後に、チームを去りました。

本降りになった雨の中、スタンドの座席のところへ行ってみます。 両チームとも試合前の練習をしていました。スタンドの観客はまばらです。

練習を終え一旦引き揚げていた選手たちが再入場です。

アメリカです。国歌斉唱は欠かせません。

いよいよキックオフです。土砂降りの雨になっています。

前半はFGで先制されるも、Eli Manningから左奥へ走りこんだJerniganへTDパスが決まり、7-3と逆転です。

さらにJosh BrownのFGで点を加えるも、インターセプトされた攻撃をFGに結び付けられ10-6で前半を終了しました。

後半からはManningが退き、Curtis PainterがQBです。試合後の放送を見ると負傷退場だったようです。第3QにJerniganが今度は左サイドライン付近を駆け抜けTDで17-6。

第4QはBrownのFGで追加点をあげ、20-6。
その点数のまま、試合は終了となりました。

レッドスキンズQBのKirk Cousinsは左サイドのパスがことごとく左へ逸れ、パス成功も19/49と不調で、昨年、今年の活躍は全く想像できない位の悪い出来でした。

テレビでの観戦では分からなかったこと

実際にスタジアムで試合を見ると、テレビで見ていてはあまり気が付かなかった事が見えてきます。

テレビ放映のコマーシャルの時間分?試合が確実に止まります。パント後に攻撃権が替わる時、結構な時間をおきます。今回の様な、雨中の消化試合では、その時間がすごく長く感じました。

パンターの上手さ、下手さが実際の試合では良く分かります。パントの高さや飛んでいく方向、距離などはテレビではしっかりイメージできませんが、実際の試合ではパントを見るのが楽しくなります。この試合でのジャイアンツのSteve Weatherfordのパントは上手かったです。時代の流れで、今シーズンはWeatherfordもBrownも既にチームには居ません。

人工芝の緑がとても綺麗に見えます。日本の野球場の人工芝より目に映えます。

雨中で観客はわずかしかいませんでしたが、それでもクラウドノイズは喧しかったです。満員の観衆でのクラウドノイズを体験できなかったのが残念です。

客層は、ほとんどが白人です。我々も含めた有色人種はごく少数派です。しかも裕福層?の彼らはChase Clubの中でビール片手にモニターを見たり話をしたりと、のんびりと時間を過ごしているようで、雨の中、スタンドの座席で濡れながら試合をみたりしません。同じ日の地区優勝決定戦となったEaglesとCowboysの試合は観客数9万人とのことでしたが、この試合はその10分の1、いや20分の1も観客席にはいませんでした。

 

野口英世は黄熱病を発見したのか

ふとした機会に野口英世に関する本を読み、その関連でもう1冊の本を読みました。「STAP細胞」が話題になった記憶もまだ新しい頃でしたので、科学で何かを成し遂げることの危うさはいつの時代でも同じだという感想を持ちました。野口英世への評価として、否定的な面もあれば肯定的な面も記されていますが、欲とか金銭といった泥臭い面の彼のエピソードを読むと、子供達に偉人として紹介される聖人君子の様なイメージの野口英世との乖離に戸惑います。最後のアフリカへの出発と彼の死について、なにかもやもやとした気持ちだけが、読んだ後に残りました。野口英世は何をした人かと息子に尋ねたことがあります。「黄熱病を発見した人」と、答えてくれました。少し違うんだがとも言ってやれず、大人になって興味が向いたらこれらの本を読んでくれと思いました。

黎明期のウイルス研究

野口英世と同時代の研究者たちの苦闘

鳥山重光 著
創風社 ¥2000(税別)
2008年10月15日 第1刷発行

 著者は植物ウイルス学を専門にする農学博士であり、専門家の立場を踏まえて「初期の濾過性ウイルスの研究の実情を踏まえて、野口英世の業績を批判的に検討し、そのままの姿を見ようとしたものである。」とのことです。また、「野口の業績を全面否定することへの警鐘」としての「一植物ウイルス研究者の試みである。」とも著者自身が述べています。

第1部で「欧米と日本における黎明期のウイルス研究」と題し、ウイルスの発見や初期の研究が記されています。第2部で「野口英世とロックフェラー研究所」と題し、野口英世の業績に関する記述に多くの頁を割いています。野口英世が亡くなった時のロックフェラー医学研究所を代表する3名の追悼の辞や、没後30年を経て書かれたポール・クラークの野口像などから読み取れる、著者の解説による示唆に富んだ文章が多く記されています。

締めくくりには、プレセットの著書について、「しかし、残念ながら、彼女が発見したものは、あるがままの野口英世であり、新たな発見に失敗した。」「プレセットの失敗は、1910年ごろから1935年代の世界の研究者たちの濾過性ウイルス研究を全く無視した調査だったことに原因があるのではなかろうか。」と述べています。

プレセットの著書を読む前に一度読み、読んだ後にもう一度読み直してみました。誰も追試(追加実験で結果の再現を確認すること)ができない野口の培養技術をも、全く否定するのではなく、後世にも影響を残していることの肯定的な評価もしています。一方で、厳密ではない当時の論文の査読システム(論文が掲載に値するかの評価判断システム)についての否定的な評価をしています。肯定できる面と、否定的な面の、両者を上手くバランスをとって書かれているようにも思えます。

Noguchi and His Patrons

野口英世

Isabel R. Plesset 著
中井久夫、枡矢好弘 訳
星和書店 ¥3900(税別)
1987年2月26日 第1刷発行

この本は野口英世を否定的に捉えている本であるとの評価もあります。淡々と、野口英世自身の書簡や周囲の人の発言、行動などを並べてあるようにも思えます。

アメリカやヨーロッパでの、そして中南米やアフリカでの、当時の研究生活の実際が窺い知れる内容です。黙々と実験に取り組んではいるが、彼の研究室そのものや、補助スタッフなど研究の体制は粗雑といった面や、精一杯虚勢もはったようなエピソードや書簡も数々記されています。他の者が追加実験を行って、野口英世の出した結論を確認しようとするも、どうしても再現できない論文の数々。彼はテクニックの問題と無視しますが、現代の科学の世界では論文として通用しないことは明らかです。一方、当時は無視されたが、後世になって電子顕微鏡が出てきて真実だとわかった彼の推察なども紹介されています。

 

大阪で食べるダルバート

ダルバートとは

以前、在日ネパール国大使館の web site では、ダルバートについて以下の様に説明、紹介されていました。

ネパールにおける典型的な食事、それが、ダルバートです。お皿いっぱいに盛り上げた飯米(バート)にレンズ豆で作るスープ(ダル)をつけ、そこにスパイスで様々に調理された野菜(タルカリ)か肉と、漬け物(アチャール)を添えたセットが、ダルバートと総称されるネパールの典型食です。

Boss Nepal の「Eating, Nepali style」の記事では、

Every country has its own distinct cuisine.  In the case of Nepal, there are several regional variations, but one dish has come to characterize the country’s cuisine: dal-bhat-tarkari.  Dal is a lentil sauce that is eaten with the bhat (rice).  Tarkari is a generic name for vegetable curry and can be prepared in different ways according to seasonal availability of vegetables and local preferences.  It is often served with achar (pickles) to enhance the taste.  Meat curry is also popular, especially on special occasions and festivals.

勝手に訳してみると、

どの国にも、その国の独特の、他の国とは異なる料理があります。ネパールの場合、いくつかの宗教による多様性はありますが、ある一皿がこの国の料理を特徴づけるようになりました。それがダルバートタルカリ dal-bhat-tarkari です。ダル dal はレンズ豆のソースで、バート(ご飯)bhat と一緒に食べます。タルカリ tarkari は野菜カリーの一般的な呼び名であり、季節によって採れる野菜によって、またその地方の好みによって、さまざまな方法で調理されます。しばしばアチャール(漬物)achar が添えられ、味に深みを増します。肉カリーもまた、特別な機会やお祭りの際にはよく供されます。

ネパール料理とインド料理

しかし残念ながら、日本にあるインド・ネパール料理店では、メニューにダルバートを見つけることさえ出来ないこともあります。ネパール料理といっても、普通の日本人にとってはインド料理と区別がつかず、ナンとカレー、タンドール料理のイメージで、オーダーもそれらが中心です。そもそも、北インドの一般家庭にはナンを焼くタンドール窯は無く、日常食べるのは Tawa タワ(鉄板、フライパン)で焼くロティ、チャパティやパロタです。南インドでは米食が中心です。

技能ビザの上陸許可基準、基準省令1号の「料理の調理又は食品の製造に係る技能で外国において考案され我が国において特殊なものを要する業務に従事する者」に該当するとして、タンドール窯で調理ができる調理人にはビザを発給し、それに関してタンドール窯ブローカーの介在、暗躍もあったという時代背景もあり、主にネパール人が経営するインド・ネパール料理店(インネパ店)でも、ナンとバターチキンカレー、タンドリーチキンといった組み合わせのメニューを定着させてしまいました。商売としても、チャパティ等よりも甘いナンの方が子供さんや女性には受けが良いので、そのナンを巨大化させて他店と差別化といった流れに自然となりました。

東京、名古屋、福岡のダルバート

最近、東京の新大久保周辺、名古屋、福岡などで、ダルバートを供するお店が増えています。周囲にネパール人が比較的多く住んでおり(2018年末に外国人登録をしているネパール人は東京都 27598人、千葉県 6801人、神奈川県 6425人、愛知県 9093人、福岡県 6379人)、来店してくれるのがやはりビジネスとして成り立つ条件の様です。ワンコインダルバートと称して、同胞の若者を支える価格設定がされたりしています。

大阪、兵庫、京都、奈良のダルバート

ネパール人がそれほど多くない、大阪(2018年末に外国人登録をしているネパール人は 3053人)、兵庫、京都、奈良など関西でのダルバートの提供はどうでしょう。ネパール料理に興味を持つ日本人が客層の中心となります。

ダルと一緒にバートを食べ、それに味わいを添えるのがタルカリやアチャールであり、その組み合わせを楽しみ、豆の味を味わいながらご飯を食べるという日常食としてのダルバートでは、その魅力を理解してもらうのは難しいかもしれません。

マス Masu(肉カリー)も本来は、ドライあるいはセミドライタイプで、ダルやタルカリ、アチャールの味を邪魔することなく引き立てるのが理想です(著者の嗜好です)。「カレー」のカテゴリーでダルバートをとらえる人にとっては、マス(肉カリー)がその様なドライあるいはセミドライタイプで供されたり、ダルが辛くなかったりすると、満足してもらえません。汁気の多い Jhol タイプの「辛い」「カレー」が入っていないと認めてもらえず、リピートしてもらえない可能性があります。「ズーズーダゥ jujudhau」さん、「few」さん、「パリワール Pariwar」さん、「ヤク & イエティ Yak & Yeti」さん、既に店を閉じられた「ターメリック Turmeric」さん等では、調理に手間がかかっても、信念を曲げられずに、ドライあるいはセミドライタイプのマスを供されます。カトマンズの有名店のダルバートのマスも最近は諸事情で汁気の多いタイプばかりになってしまったことを、昔をご存じの方々は嘆いておられます。

ネパールの主たる宗教はヒンドゥ教です。良く知られている様に牛肉を食べることは出来ません。あまり知られていませんが、豚肉も多くのカースト、民族では忌み嫌われ、特に年配の方は口にされないようです。よって、マスはチキンかマトン(山羊)に限られ、種類が少なくなってしまいます。お祭りの際は、山羊肉が一番のごちそうです。地方に行けば豚肉を食する習慣のある民族もあります。関西の場合、ポークがダルバートに登場するのは、日本人店主のお店が多い様です。

関西のダルバートの草分けの日本人と言えば「ダルバート食堂」の遼さんですが、最近では「Asian kitchen cafe 百福」さん、「ニタカリバンチャ Nithakali Bhanchha」さん、「ヤタラスパイス Yatara Spice」さん、「メシクウタン? Mesi-kutan?」さんなどでも日本人店主が頑張っておられます。老舗の「亜州食堂 チョウク CHOWK」さんでもダルバートが供されることがあるようですが、まだ頂けてません。

ダルに使われる豆、そしてその組み合わせ、味付け、豆を潰したタイプか、粒感を残したタイプかはお店によって様々です。ダルバートでよく使われる豆の種類は「マメな豆の話 世界の豆食文化をたずねて 吉田よし子著」の記事で書評として記し、まとめています。

マス Mas <Black Gram> ケツルアズキ
ムスロ Musuro <Lentil> レンズマメ
ムング Moong <Green Gram> リョクトウ
ラハル Rahar <Pigeon pea> キマメ
チャナ Chana <Chickpea> ヒヨコマメ
ボリ Bodi <Black eyed peas> ササゲ
シミ Simi <Green beans> インゲン

マスのみの、マスコダルを供されるのが「シュレスタ Shrestha」さんと、「ヴウェチェ(ボエチェ)Bhwa Chhen」さん、ムスロのみが「JahpaL Live ジャーパルライブ」さんです。「ニタカリバンチャ Nithakali Bhanccha」さんはマスとムスロのミックス、「シムラン SIMRAN」さん、「マナカマナ Manakamana」さん、「月と太陽」さんはムスロとムングのミックス、「アカーシュ Akash」さんと「サンチャイ Sanchai」さん、「ナラヤニ Narayani」さんはマス、ムスロ、ムングの 3種類のミックス、「オアシスカフェ The Oasis cafe 桃谷店」さんも同じ 3種類ですが、不定期のスペシャルダルバートの際にラハルとチャナが加わっていました。この 5種類の組み合わせは「シダラタ Siddartha」さんでも頂けます。チャナが使われているのは「パリワール Pariwar」さん、他に「ヤク & イエティ Yak & Yeti」さんがムスロとのミックスで、「few」さん、「Asian kitchen cafe 百福」さん、「barefoot curry ベアフットカリー」さんはマス、ムスロ、ムング、チャナの 4種類のミックスです。ボリを使われるお店もあり「ダナチョガ Dana Choga」さんは、マス、ムスロ、ボリ、チャナのミックスです。「ダルバート食堂」さんはマス、ムスロ、ムング、ラハルのミックスですが、タカリダルバートにシミが供されることがあります。多くの店では、ほぼ固定されている豆の使い方ですが、「ズーズーダゥ jujudhau」さんではマス、ムスロの組み合わせをベースに、豆の種類を変え 3種類から 4種類のミックス、多い時には十数種類を使ったクワンティコジョルが楽しめます。

タルカリやアチャールも、日本とネパールでは採れる野菜が異なりますので、日本でとれる季節の野菜を上手く調理されているお店もいくつかあります。「ズーズーダゥ jujudhau」さんのタルカリ、アチャールに使われる素材や調理方法の多さ、手間のかけ方が特筆されます。普段のダルバートと言うよりは、お祭りやハレの日に家族が集まる際にアマ(母親)が精魂込めて作るダルバートというコンセプトで始まったのが、週末のスペシャルダルバートです。「few」さんは地元の川西で採れる野菜を、タルカリやサグ(青菜炒め)に使われ、「パリワール Pariwar」さんはもはや野菜プレートと言ってもよいくらいの多くの野菜が並びます。逆に、ネパールでも摂れるが、タルカリやアチャールには使わない野菜を使っておられるお店もあります。

ネパール人が経営するインド・ネパール料理店(インネパ店)でも、ダルバートをメニューに載せておられる店も増えましたが、他のナンとのセットに合わせたグレービータイプのカレーや、ダルも同じく豆「カレー」の一皿によく遭遇します。そんなお店の方にある時尋ねてみると「日本人はネパールのカレー(ダル)を食べない。だからこの(グレイビーベースの)カレー(ダル)。」とのことでした。ダルバート用のダルを別に作るのが面倒くさいのは分かりますが、ダルバートを食べたい日本人は、ネパールのダルを食べたいだけです。

ダルバートの「バート」、ごはんに使われる米についての一考察は
→「ダルバートのバートはマスマティ米という意味ではありません」
を、お読みください。

美味しいダルバートに巡り合えるのではと期待し、新しいお店の訪問は続けています。My Map「ダルバート Dal bhat by フクロウの気の向くままに」を作ってみました。2023年1月「関西ダルバートMAP」に名前を変更してみました。こちらも随時更新していきます。

『ダルバート(大阪、兵庫)ネパール料理』では、ダルバートの他、カジャ、サマエバジなどネパール料理に関する記事を、
『ネパール旅行 2017年』『ネパール旅行 2018年』では、ネパール旅行記をご覧に頂けます。
興味あるネパールの食文化や伝統行事には、関連記事を引用する様にしています。

『大阪で食べるダルバート』を 2017年1月に記し、2018年1月に追記改訂しました。内容も古くなったこともあり、2020年3月に書き直し、2021年2月には My Map を追加しました。2023年1月に関西ダルバートMAPに名前を変更しました。

著者のダルバートに対する好みも含みますが、記事に関連し、開示すべき利益相反関係にあるお店はありません。

下の写真はカトマンズで頂いた中で印象に残っている、「Sundar Bhojanalaya スンダル ボジャナラヤ」さんで頂いたシンプルなダルバートです。追加したチキンは、ドライ~セミドライタイプです。

大木神父奮戦記

学生の頃ネパールを旅したかった理由の一つが大木神父の存在でした。ネパールへ渡られ、その後、障がい児教育の施設をポカラで運営されるようになったと耳にしていました。ポカラとはどんな場所なのか、見に行きたかったのでした。その大木神父のネパールでの経緯などを綴った本が出版されています。

大木神父奮戦記

大木章次郎語り下ろし製作委員会
小学館スクウェア ¥1428(税別)
2011年7月15日第1刷発行

イエズス会の大木章次郎神父が1977年ネパールに渡り、1979年からポカラで障がい児教育センターであるシシュ・ビカス・ケンドラを、小さな平屋の家を借りて試行錯誤しながら始められました。ネパールはヒンズー教の国であり、それまでは、障がい者というのは前世の罪の結果生まれてきた隠すべき者というように考えられていました。その様な価値観を持つ人々が多いネパールで、障がい児への教育に取り組まれたことは、並大抵の苦労ではなかったはずです。しかも、政府はキリスト教を非常に警戒しており、宣教をしようとしているのではないかと疑ってキリスト教の団体には圧力をかけていました。

江口美由紀さん「大木神父からの聞き書き」の形で原稿をまとめられた本です。ビザの問題、資金の問題、政府からの圧力のエピソード、マオイスト(共産党毛沢東主義派)からの殺人予告などを語られておられます。 ネパールの政情はとても不安定です。大木神父に対するマオイストからの殺人予告だけではなく、実際に首都カトマンズではカトリック教会の爆破事件も起きたりしました。この本で語られている以上に、ヒンズー教とキリスト教の間には様々な葛藤があるようで、ご苦労が行間からも読めます。 日本では、大木神父の窮状を経済面からでも支援しようと、倉光誠一氏「ポカラの会」を立ち上げられ、集まった寄付を神父に送り支援される様になったのです。その後、曾野綾子さん主宰される海外法人宣教者活動援助後援会も、施設の拡張に援助を申し出られたとのことです。さらに、スタッフが独立して、シシュ・ビカス・ケンドラを卒業した後を受け入れる障がい者施設、セワ・ケンドラも誕生しました。こちらにも日本人のサポーターグループが有り支援をされているとのことです。また、子供がいるために母親が働きに出られない貧しい母子家庭の子供を、母親が働いている間預かるジョティー・ケンドラも、経営に必要な資金をポカラの会が出すことで始められたそうです。こちらではシスター川岡が奮闘されておられました。さらに、貧しい人たちの診療を自分たちでしたいと、あるネパール人の青年がシッダールタ・クラブというNPOを作り、会費を集め、ボランティアの医師に診療を頼むようになりました。しかし、金銭面の問題から、シッダールタ・クラブもポカラの会の援助無しでは運営できない状況もあったようです。神父の意思を継いで、ポカラにヒマラヤの見える教会を建てる計画も、教会建設支援の会が立ちあげられ、支援を集められました。神父は2009年イエズス会から帰国指示が出され、後進に道を譲って帰国されました。ポカラの会もその趣旨を継続するため、神父の帰国を機に、「新ポカラの会」として再出発されました。 「ポカラの会」「新ポカラの会」は倉光誠一氏が、ご高齢にもかかわらず、私費でネパールに行き来されて支えて来られました。web siteも個人で立ち上げておられましたが、同氏は2014年突然の病でご帰天され、大木神父も2015年ご帰天されました。その意思は、「ニューポカラの会」に引き継がれています。

大阪で食べるスリランカカレー

ワンプレートで供されることの多いスリランカカレー、見た目も綺麗で、食べやすく、美味しく、2016年のマイブームでした。何故今までその魅力に気が付かなかったのでしょう。巷でもブームになりつつあり、お店が増えてきています。記載順は訪れた順です。どのお店も魅力的です。

カレーやデッカオ

大阪市中央区南船場3-8-5 南船場ビル2F
https://www.facebook.com/dekkao

船場方面に用事で出かけた際に入ったお店で、私にとってスリランカカレーへの入口です。スリランカセットをいただきました。訪れた日は日替わりのキーマカレーが売り切れ、ポークカレーでした。

SRI LANKAN DINING AMAYA
スリランカダイニング アマヤ 本町店

大阪市中央区久太郎町3-1-22 OSKビル1F
https://www.facebook.com/SRI-LANKAN-DINING-AMAYA

日を置かず出かけたお店がここでした。スリランカカレーへの興味を加速させてくれました。日替わりカレーにカレーが追加できるあいがけを頂いたのが始まりです。ビルの通路を奥に進んでようやく見つけることが出来る小さな食堂といった佇まいです。曜日によって供されるものが異なります。とある日はビリヤニでした。

RASAHALA  ラサハラ

大阪市淀川区東三国4-17-6
https://ja-jp.facebook.com/RASAHALA/

東三国の駅からすぐのお店です。ランチメニューの中から、セイロンプレートを、キーマカレーを選んで頂きました。ポヤデー(満月の日)にはスペシャルベジタブルプレートが供されます。

NUWARAKADE ヌワラカデ

大阪市西区江之子島1-6-8
https://ja-jp.facebook.com/roddagroup/

NUWARA プレートをバスマティーライスに変更し、カレーはマトンを選択しました。マトンを選んだせいか、辛いの大丈夫ですかと聞かれました。

Ceylon Curry セイロンカリー

大阪市中央区南船場1-13-4
https://ja-jp.facebook.com/ceyloncurry/

定番のアンブラです。マトンを選び、バスマティライスに変更、フィッシュカレーのミニカレー追加をお願いしました。初めて訪れた際は、このアンブラではなく、蓮の葉に包んだランプライスを頂きました。週末などスペシャルメニューが登場する様です。

Shanthi Lanka シャンティランカ

宝塚市平井2-7-11
https://twitter.com/shanthi_lanka

大阪ではなく兵庫になりますが、阪急宝塚線の山本駅からすぐにあるお店を訪ねました。近所のママ友の集まりらしきグループ2組に挟まれて食べてきました。ランチCセットはデザートと飲み物も付きます。

PONGALA CURRY ポンガラカレー

大阪市北区角田町8-47 阪急サン広場B1F
http://www.pongalacurry.com/

阪急百貨店の地下1階の真向かいという絶好の場所にあり、通し営業されているので遅めの昼食にも便利です。バスマティライス、マトンへの変更可能なスリランカプレートをまずいただきました。再訪の際は、ポンガラプレートをいただきました。

SIGIRIYA シーギリヤ

大阪市西区立売堀4-7-15
https://ja-jp.facebook.com/sigiriya.jp/

 スペシャルライス&カレープレートをマトンマレーで頂きました。

RODDA group ロッダグループ

大阪市西区千代崎1-23-9
https://ja-jp.facebook.com/roddagroup/

NUWARAKADEの方に先に訪れ、本店?のこちらにうかがう機会がなかったのですが、年末に念願が叶いました。もちろん、というかこの日はギャミラサのみのメニューでしたので、マトンをいただきました。

AMBALAMA アンバラマ

大阪市北区中崎町3-5-14

アンバラマプレートをマトンカレー、バスマティライスに変更していただきました。綺麗な店舗ですが、隣のライブ?からの音がよく響きます。

<2018年1月追記>

その後も折を見て、美味しいスリランカ料理を頂きに伺っています。
→スリランカカレー(大阪、兵庫)スリランカ料理