ベジダルバート その2 @ ミニネパール MINI NEPAL DINING & BAR(京都市東山区)

2022年に新たに訪れた「ミニネパール」さんへ繰り返しの訪問です。この日もベジダルバートをお願いしました。熱いギーをご飯にかけて下さいます。ダルはおそらくマス、ムスロ、ムング、ラハル、チャナのミックス、じゃが芋、カリフラワー、南瓜、シミのタルカリ、トマトと胡麻のアチャール、パパドゥ、大根、人参、胡瓜のアチャール、青菜炒め、スライス人参、胡瓜、ダヒが並びます。グンドゥルックも添えていただき、チヤも頂きました。

東山三条交差点近くのお店で頂ける美味しい料理の数々は
→「ミニネパール MINI NEPAL(京都市東山区)」

ミニネパール
MINI NEPAL DINING & BAR

京都市東山区分木町 57 ラメール三条

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2022-2023 年越しスペシャルダルバート @ ダルバート食堂(大阪市中央区)

「ダルバート食堂」さん、2022年の暮れから2023年のお正月まで通し営業で、年越しスペシャルダルバートを用意されました。ノンベジをお願いしました。ダルは、マス、ムスロ、ムング、ラハルのミックス、マスはキーマカリー、じゃが芋、カリフラワー、エンドウ豆のタルカリ、トマトのアチャール、大根のアチャール、柿のアチャール、ゆで卵、マサラチキン、茄子のフライ、シシャモフライ、青菜炒め、スライス野菜、セルロティとダヒが並びました。メニューと内容が若干異なる点は、この日だけの仕様かもしれません。年末の夜遅めの訪問ということもあり丁度お客さんが途切れたタイミングで、ミランさん、ラビンさんとの四方山話で時間が過ぎていきました。

大阪メトロ谷町線谷町六丁目駅、空堀商店街からも近い、お店で頂ける美味しい料理の数々は
→「ダルバート食堂(大阪市中央区)」

ダルバート食堂

大阪市中央区谷町 6丁目13-6

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ヒマラヤの寺院 ネパール・北インド・中国の宗教建築 佐藤正彦著 鹿島出版会

ヒマラヤの寺院
ネパール・北インド・中国の宗教建築

佐藤正彦著
鹿島出版会
2012年1月30日 第1刷

工学部建築学科の教授であった著者が、1982年からネパールを何度も訪れ寺院建築の詳細なフィールドワークを行い20余年の研究成果の論文をまとめたものが本書です。

構成は
プロローグ なぜ寺院建築なのか
第一章 ネパールの寺院建築
第二章 ネパールの建築の源流を探る―北インド建築
第三章 中国建築とのつながり
第四章 カトマンズの寺院建築
第五章 パータンの寺院建築
第六章 バドガウンの寺院建築
付録資料
エピローグ
からなり、旧王宮、広場、共同水場、休憩所、住居、仏教僧院、郊外の寺院、神々と仏、寺院と動物、寺院と植物、市場、職人街、教育事情、伝統建築の崩壊、修復の現状、とそれぞれ題された 15のコラムが挟まります。

第一章で、ヒンドゥー教と仏教、ラマ教の遺構が混在するというネパールの特徴について、人々の信仰を紹介されています。

ネパールでは人によって、それぞれの寺院の重要度、寺院を参拝する回数、寺院に祀られたそれぞれの神の地位、位置づけや権力など、さまざまな特徴により寺院の意義は異なる。動物の神パシュパティナートとして現れたシヴァ神は最も神聖なヒンドゥー教の神であるが、このシヴァ神は違った場所では別の意味をもつ。つまり、他所に祀られたシヴァ神がたとえパシュパティナートの像に似ていても同じ効力を必ずしもふるうわけではない。人々は、それぞれの諸願成就のために、それをかなえてくれる神々を求めるのである。

神仏混淆についても、パシュパティナート寺や

パシュパティナート寺には、ネパールの宗教的な意義を考える場合に、非常に興味深い現象がある。パシュパティナート寺は、一年のうちのたった一日のみではあるが、ご神体をチェンジするのである。(中略)パシュパティナート寺はカトマンズ盆地内のヒンドゥー教徒たちの聖地であるが、その本尊のシヴァ・リンガは、一年のある一日だけ仏の冠を被せられ、仏教徒たちの礼拝を受ける。これによってシヴァ・リンガの世界観は、最も直截的な方法で仏教の世界観に逆転されてしまう。この不思議な伝統は、二つの世界観を表裏一体の関係に統合する。このような事柄はネパールでもほかに例がない。

セト・マチェンドラナート寺を例に分かりやすく解説があります。

セト・マチェンドラナート寺は、仏教徒がセト・マチェンドラナートを観世音菩薩と考え、ヒンドゥー教徒は恵みの雨をもたらすシヴァの化身と考え、両教徒から崇められている。アーチ型の入口は二頭の金属製の獅子で守られ、中庭の高い石柱の上には天蓋付きで小さな仏陀像が祀られ、寺院の正面入口の方立の足元礎石上に観世音菩薩立像がある。礎石に獅子頭も付く。中庭には数多くの小仏塔や小祠もある。これらのことからも寺が仏教寺院であることを十分に知ることができるが、主祭神は雨とモンスーンの神マチェンドラナートで、ローケーシュヴァラという名を介して観世音菩薩がシヴァ神とつながっているので、ヒンドゥー教の神でもあるのだ。

建築学の観点からの本書での記述を簡単にまとめると

【平面構成】カトマンズ、パータン、バドガウンなどの寺院の一階平面は、様式(形式)や規模などによって IからⅨ類の九つに分類されるとのことで、各論の項ではすべての寺院の平面図が添えられています。

【構造デザイン・材料】寺院建築は、構造デザインや材料からみて大きく四つに分類されます。
『シカラ(高塔)様式建築』石造に多く残り、カジュラホーなどで発展した様式で、それらインドから直接強く影響を受けた建築と考えられ、パータンのクリシュナ寺に代表される。
『ネワール・パゴダ様式建築』金銀細工をはじめ木彫りなどに優れた技術を持つネワール族が造営に携わってきたもので、最も屋根数の多い五重屋根の寺院はニャタポーラ寺。
『イスラーム様式建築』北インドのムガル帝国以降の影響を強く受けた、レンガ造の平屋建てに多く、バグワティ寺やパシュパティナート寺に代表される。
『ストゥーパ(仏塔)様式建築』インドの土饅頭型とは異なり、何世紀もかけてブッダと仏教原理を表現する複合的なものに進化したもので、スワヤンブナート仏塔とボーダナート仏塔がその代表。

【装飾】ピーコックウインドーに代表される窓、トーラナやトーラナアーチ、方杖、斜め格子、壁面の腰回りに装飾としてみられる蛇身とナーガ(蛇神)信仰、屋根のガジュー(カジュル)、ドバジャ(バター、バターカ)、望楼などについても解説されています。これらの装飾についての過去の記事は →「Jestha Varna Mahavihar Min Nath Temple (Min Nath Temple) ミンナート寺院 (Patan)」 および →「Changu Narayan チャング ナラヤン」

第二章では著者の専門でもあるインド建築が、アジャンター第十九窟、エローラ第十窟、カジュラーホーのラクシュマーナ寺、マハーバリープラムの五つの寺院などを例に、ネパールとの繋がりも含め詳しく記されています。

第四章から六章では、250寺院について、建立年、修復年、実測した平面図、構造・様式、神室、細部、備考、各項目が書かれています。

15のコラムも読み応え十分です。

エピローグで、著者は以下のような自説を展開します。

ネパールのネワール・パゴダ様式建築の源流を赤道直下に位置するインドネシアの伝統的木造建築に次のような理由で求めたい。
①インドネシアの伝統的木造建築には、柱上に組物の発展がなく、簡単な方杖で軒を支える。
②インドネシア・ニアス島の伝統的木造民家は、床上の居住部分を外部に斜めに張り出して、格子を前倒しに付け、内側にベンチを設けている。
③インドネシア・北スマトラのリンガ村(バタックカロ族)の伝統的木造集会所は、屋根の頂部に上れない望楼を載せている。サモシル島のヌマタンプルマ(シマルングバタック博物館)の民家の頂部にも望楼が載る。
④貫の使用量が比較的少ない。
⑤ネパールのネワール・パゴダ様式建築は、二階より上に上れないものがほとんどで、バリ島の蜜櫓式木造塔に類似する。
⑥ネパールで著名なピーコックウインドー(孔雀窓)と類似するインドネシア国鳥ガルダウインドー(ジャワクマタカ窓)の技法がある。

この説の結論としては、

仮にこれが認められれば、ネワール・パゴダ様式建築の図式は次のようになる。
インドネシアの伝統的木造建築→インド・ケーララ州→インド・ヒマーチャル・プラデーシュ州→ネパール・ネワール・パゴダ様式建築

としています。また、日本の仏塔建築のルーツについても、以下のような自説を提唱しています。

一方、私はファーガソンが指摘したインド・ケーララ州を源にすることも捨てがたいと思っている。とくに、我が国の仏塔を考えると、「インド・ケーララ州→インドネシアの伝統的木造建築→我が国の仏塔」という図式が成り立つのではないかと想像をたくましくせざるを得ない。七世紀末に建立された世界最古の木造塔である法隆寺五重塔には、心柱がある。心柱構造の木造塔は、中国にもネパールのパゴダ建築にもない。しかし、インドネシア・バリ島の木造塔は心柱構造である。ジャック・デュマルセは、東ジャワのチャンディ・スロウォノの東壁北東隅に現れる一本柱で屋根(三重)を支える(心柱構造)のは、インド・ケーララ州東側に隣接するタミル・ナードゥ州マハーバリプラムにある八世紀の岩石寺院にみられる(佐藤浩司訳『東南アジアの住まい』)と指摘している。かつて国語学者の大野晋氏は、インド南部のタミル語と日本語が大変類似していることを著している。私は我が国の建築を考える際、インド洋、南シナ海の海上の道を、中国大陸横断のシルクロードとともに考慮すべきと思っている。

 

ベトナム戦争の「戦後」中野亜里編 株式会社めこん

ベトナム戦争の「戦後」

中野亜里編
株式会社 めこん
2005年9月25日 初版第1刷

2022年は2月24日にロシアによるウクライナ侵攻、中国が西側勢力によって仕組まれた「茶番」だとして公表しないよう求めていたにもかかわらず、国連が8月31日に中国・新疆地区で「深刻な人権侵害」が見られるとして、中国を非難する報告書を公表したりと、共産主義勢力の姿勢が明らかになった年でもありました。これらは今に始まったことではなく、ベトナム戦争でソ連や中国がどのような戦略を用いたかを思い起こせば、まさしく『歴史は繰り返す』を証明した年でもあります。ベトナム戦争に関するいくつかの書籍をご紹介してきました →「本 ベトナム戦争」が、本屋さんで見つけ買い求めていた1冊(2005年刊行ですが)をご紹介いたします。

メコン社さんの web site では本書の紹介として、以下のように記され、

(前略)ベトナム戦争はベトナムだけではなく、世界中に大きな影響を残しました。しかし、日本人は南ベトナムの民族解放戦線にやたらに肩入れしたので、そのベトナムがカンボジアに侵攻したらわけがわからなくなりました。アメリカはいまだにベトナム戦争後遺症をひきずっています。そして、肝心のベトナムは「戦後」、いったいどうなってしまったのでしょう。
 どうも、日本の「ベトナム世代」は思い入れで目が曇り、事態をきちんと見ることができないようです。そこで、いずれもベトナム世代以降の、在日ベトナム人を含む若手研究者、ジャーナリストがベトナム戦争の「戦後」を考えなおしてみようということになりました。全く新しい刺激的なベトナム論、ベトナム戦争論です。

内容構成は以下のようになっています。
第1部 ベトナムの戦後
1 ベトナムの革命戦争
2 記者が見た英雄たちの戦後
3 統一ベトナムの苦悩――政治イデオロギーと経済・社会の現実
4 南部の貧困層と国際NGO活動に見る戦争の影響
5 ベトナム人民軍の素顔
6 人々の意識を荒廃させた経済・社会政策――ドイモイ前の「バオカップ」制度
7 抗米戦争と文学

第2部 ベトナムの戦争と関係諸国
1 日本から見たベトナム戦争とその戦後
2 アメリカにとってのベトナム戦争――今も続く「泥沼の教訓」論争
3 周辺諸国にとってのベトナム戦争
4 ベトナム革命戦争と中国
5 国際共同体の一員として

第1部 第1章では戦争の概略のおさらい、それを踏まえて第2部 第1章で当時の日本人がなぜ反戦に熱狂したかが記されています。他でも指摘されているように、南ベトナム解放民族戦線を、南ベトナム『民族解放』戦線と表記し、人々の意識を操作し、ことさら反米を煽ったマスメディアの役割も大きく、以下のごとく記されています。

ベトナム人に寄せられた共感の理由には、同じアジアだという地理的、文化的な近さもあげることができる。新聞紙上などで、「同じ稲作民族」であるとか、`同じ黄色人種であることがしばしば言及され、「アジアのことはアジア人の手に」といった、今から見れば人種主義とも、第二次大戦以降封印されてきたアジア主義的心情の噴出とも取れるような主張が行なわれた。
 こうした主張が登場した背景に、六〇年安保からの流れである反米ナショナリズムの影響があったことは見逃せない。岸内閣が改正安保条約を国会での強行採決で成立させたことで六〇年安保は挫折に終わったものの、反安保、反基地のスローガンはベトナム反戦にも引き継がれていた。反戦運動に参加した日本人がたちは北ベトナムの「抗米救国」のスローガンをわがことのように叫んだ。

戦争当時は解放民族戦線に肩入れをした日本人は、戦後、彼らがソ連が後押しするハノイの北ベトナム共産党によって無視される立場におかれたこと→「裏切られたベトナム革命 チュン・ニュー・タンの証言」には全く関心がありません。

サイゴン政府崩壊後、政権移譲に関する施策は党政治局がすべて決定し、南部に基盤を持つ党中央委員のヴォー・ヴァン・キェットを通じて指令が出された。南部の政府機構の各部門には、北ベトナム政府の当該部門の官僚が配置され、労働党の要員が重要なポストについた。党は臨時革命政府と解放戦線、およびその他の政治勢力の今後の役割については、何ら明確にしなかった。独立で中立の南ベトナム国家建設の構想は立ち消えとなり、非共産主義勢力を統合してきた指導部は、もはや不要な存在とみなされた。

戦後かなりの年数が経った後に及んでもことさら「解放民族戦線」を持ち上げるのは滑稽であり、諸問題の根源を見ていません。

ベトナム戦争当時、民衆の戦いに強い共感を寄せた日本人だが、このように党と民衆とが乖離したベトナムの現状にはほとんど無関心に見える。そして、それとは対照的に「民衆の戦争」を担った南ベトナム解放民族戦線へのこだわりは今も折に触れて示される。

解放民族戦線は、労働党(のちの共産党)が社会主義、共産主義を推し進める上での対外的な正当性を担保するものであって、

党の政治イデオロギーでは、民族解放の後に社会主義に向かうことは歴史の客観的な法則で、闘争の過程で解放戦線、平和勢力連合、臨時革命政府などを設立したことは、革命の正統性と内外の支持を獲得するためだった。そして、これら組織の軍事・政治闘争と外交闘争における功績も、労働党が指導する革命の成果として語られるようになったのである。

目的が達せられたあかつきには、その意義は矮小化されてしまいました。

ベトナム共産党にとって「戦争を指導して独立を達成した」という党の自己イメージは、一党支配の正当性の基盤となる絶対的なものであり、党が解放戦線に独立した役割を分け与えようはずがない。ベトナム共産党のホームページで「解放戦線」の定義を探すと、「党中央委の第一五号決議の精神に基づいて設立され、労働党南部委員会の直接の指導を受けた」となっており、解放戦線に何の独自性も認めていない。ベトナム百科事典編纂指導国家委員会編『ベトナム百科事典』に記述されている「解放戦線」の項目も、解放戦線が軍事力として実際に戦場で果たした役割にはいっさい触れていない。こうしたベトナム共産党中心の歴史解釈が公式なものとして存在し続けていることは、日本では十分認識されていない。また、解放戦線や臨時革命政府が標榜した、敵味方、南北の差別のない社会、多様な考え方を持った人々を糾合した社会を実現できなかった、というベトナムの戦後が抱える影の部分にも、注意が向けられることは少ない。

ベトナム戦争とは、帝国主義者との闘いというのは表向きで、単一のイデオロギーで強権支配しようと同じ民族の多様な思想・信条を排除するためのベトナム人同士の戦いであったという点に目をつぶりすぎたのが「戦後」の問題点の始まりかもしれません。

革命勢力は、世界人民が自分たちを支持しているという信念に支えられて戦った。それは、グローバルな革命勢力の先鋒として帝国主義者と闘い、世界人民のために犠牲を払っているという自意識でもあった。しかし、そのために戦後も、独立国でありながら外国援助に依存することを恥じず、むしろ正しい戦いの犠牲者を世界が支援するのは当然という意識が定着した。
 ベトナム革命に共感を寄せる日本人は、ベトナム人の上にアメリカ帝国主義の犠牲者の姿を見出そうとする。しかし、戦時中と戦後の混乱期の犠牲者の七六%は、ベトナム人どうしの殺し合いによるものだという数字もある。外国軍による残虐行為に正当化の余地はない。しかし、ベトナム人が同じ民族の多様な思想・信条を排除し、単一のイデオロギーで強権支配を行なったことは、外国の敵の侵略よりも大きな民族的悲劇と言えるのではないだろうか。

あとがきで、

帝国主義者との戦いに勝利したという自信が災いして、ハノイの党・政府指導部は過去に誤りがあってもそれを認めようとしなかった。党の指導は常に正しいものとされ、南北統一後は経済活動はもちろんジャーナリズムや宗教、文芸などもその統一的な指導下に置かれた。真の自由と独立を求める人々にとって、それは「新たな監獄」状況の始まりだった。こうして国家全体の利益と個人の利益は乖離し、対立するようになっていった。国家は個人に対して抑圧的な存在となり、貧しく弱い人々ほど国家権力の重圧に苦しむようになった。

さらに、

ベトナム人はアメリカ帝国主義だけの犠牲者ではなく、米ソ冷戦や中ソ対立という大国間のパワーゲームの犠牲者だった。そして、多くの人々にとっては、外部の侵略者との戦いのみならず、同じ民族による強権支配もまた巨大な暴力だった。過酷な時代をかいくぐってきた人々なら誰でも、政治的立場にかかわらず、自分と家族が安心して豊かに生きられる世の中を渇望しているはずだ。実情を知らない外国人が一方的に「連帯」の手を差し伸べても、「暖かい眼差し」を注いでも、大部分のベトナム人には何の関係もない、与り知らぬことだろう。
外国人がベトナム人を同情や哀れみの目で見る限り、ベトナム人は被害者、犠牲者、弱者であり続けなければならない。戦争の傷跡や貧しさを売り物にして、外国援助に頼る精神構造が生まれるのも当然だろう。それでは独立国家として諸外国と対等につき合うこともできない。

と記されています。

シュトレン Stollen @ インド家庭料理 vanam(奈良市) @ ネパールのごちそう jujudhau(池田市)

毎年恒例のクリスマス前のお楽しみ、シュトレン Stollen です。今年も「インド家庭料理 vanam ヴァナム」さんと、「ネパールのごちそう jujudhau ズーズーダウ」さんで買い求めました。

まずは「インド家庭料理 vanam ヴァナム」さんの、お洒落な布地に包まれたシュトレン。Spice Stollen と記されている通りの味わいです。「ネパールのごちそう jujudhau ズーズーダウ」さんのシュトレンは贈り物に求められ人も多く、立派な箱入りです。ククリラムとドライフルーツたっぷりが特徴です。

お店で頂ける美味しい料理の数々は
→「ヴァナム vanam (奈良市矢田原町)」

インド家庭料理 vanam ヴァナム

奈良市矢田原町 743

https://vanam.therestaurant.jp/
https://www.facebook.com/vanamspice/
https://www.instagram.com/vanam_nara/

阪急宝塚線池田駅すぐのお店で頂ける、美味しい料理の数々は
→「jujudhau ズーズーダゥ(池田市)ネパールのごちそう」

ネパールのごちそう
jujudhau
ズーズーダゥ

池田市室町 1-3

https://ja-jp.facebook.com/jujudhaunepal/
https://www.instagram.com/jujudhau/?hl=j

ネパールタリセット @ ナマステタージマハル アロック 京都烏丸店(京都市中京区)

「ナマステタージマハル アロック Namaste Taj Mahal ALOK 京都烏丸店」さん、以前にも某マップのメニューの写真にダルバートを見つけ伺い空振り、再度新たなメニューの写真を見つけ再訪です。ランチメニューにもグランドメニューにもダルバートは載っていませんが、お店の方にお願いすると『Nepal Food Menu』が出てきます。ネパールタリセットをお願いしました。ダルはおそらくマス、ムスロ、ムング、チャナは使われていそうですが、お店の方に尋ねてもミックスダルとのお答えのみです。ネパールチキンカレーと記されているグルグル付きのカレー、パパド、マンゴーのアチャール、スライス野菜のシンプルな構成です。チヤも頂きました。

ナマステタージマハル アロック 京都烏丸店
Namaste Taj Mahal ALOK

京都市中京区西魚屋町 604 ファーストコート四条錦 4F

 

鶏モモ丸々1本カリーのクリスマススペシャルアンブラプレート @ セイロンカリー Ceylon Curry(大阪市中央区)

「セイロンカリー Ceylon Curry」さんのクリスマススペシャルアンブラプレートに、鶏モモ丸々1本カリーを用意されましたのでお願いしました。この日の副菜は別オーダーのポークカリー version のポークカリーの横のポロス、茄子のモージュ、ジャンボインゲンのテルダーラ、マンニョッカ、ビーツ、青パパイヤのアッチャール、大和まなのマッルン、カトゥレット、ポルサンボーラ、ムング入りカダラカリーが並びました。追加でキリテとワタラッパンも頂きました。

大阪メトロ堺筋本町駅、松屋町駅近くのお店で頂ける、美味しい料理の数々は
→「セイロン カリー Ceylon Curry (大阪市中央区)」

セイロン カリー
Ceylon Curry

大阪市中央区南船場 1丁目13-4

https://twitter.com/ceyloncurry2013
https://www.facebook.com/ceyloncurry/
https://www.instagram.com/ceylon.curry/?hl=ja

 

肉骨茶 バクテーとあさりのバジル炒め @ アジア食堂カフェ カオヤム堂(大阪市北区)

「アジア食堂カフェ カオヤム堂」さんへ伺い、いつもの蒸し春巻き、あさりのバジル炒め、週替わりメニューの肉骨茶 バクテー ごはん・サラダ付き、豚挽き肉炒めトッピングのカオヤムをお願いし、食後にバナナとスパイスのケーキとコーヒーも頂きました。

地下鉄谷町線天神橋六丁目駅近くの、お店で頂ける美味しい料理の数々は
→「カオヤム堂(大阪市北区)」

アジア食堂カフェ カオヤム堂

大阪市北区本庄西 1-5-11

https://www.facebook.com/カオヤム堂/?ref=page_internal
https://www.instagram.com/kaoyamudou/?hl=ja

クリスマススペシャルダルバート @ ネパールのごちそう jujudhau ズーズーダゥ(池田市)

「ネパールのごちそう jujudhau ズーズーダゥ」さんの、クリスマスに合わせたスペシャルダルバートです。ダルはマス、ムスロ、チャナ、ガハットのミックス、マスはチキン、タルカリはじゃが芋、ガリフラワー、ブロッコリー、チャナ、ラジマです。アチャールは 3種類、果物シリーズは蜜柑、りんご、梨のアチャール、ほどよく発酵した紫カリフラワーのアチャール、パプリカ、コリアンダー、トマトのアチャールが並びます。青菜炒め、パパドゥ、ご飯の上には、パプリカと鶏むね肉のミンチ焼きが添えられています。ズーズーダゥもクリスマス仕様、チヤも頂きました。

阪急宝塚線池田駅すぐのお店で頂ける、美味しい料理の数々は
→「jujudhau ズーズーダゥ(池田市)ネパールのごちそう」

ネパールのごちそう
jujudhau
ズーズーダゥ

池田市室町 1-3

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ベジターリーとチャンクラ Chanchra @ インド家庭料理 vanam ヴァナム(奈良市矢田原)

「インド家庭料理 vanam ヴァナム」さんへ伺い、ベジターリー Veg Thali をお願いしました。ターリー皿が新調されています。ベジタブルコフタクリーミーカレー Veg Kofta Butter Masala、旬野菜のベンガル風ダールカレー Vegetable Katti Dal、野菜のかき揚げ Veg Pakoda、大根のサブジ Mooli Sabzi、隼人瓜のディップ Chow Chow Thogayal、マスタードサラダ、パパド、マンゴーピックル、緑豆のココナッツぜんざい Moong Payasam が並びました。ノンベジアラカルトから、店主一押しのチャンクラ Chanchra を鯛の骨があるので手食で、食後にアップルクランブルケーキとチャイも頂きました。

お店で頂ける美味しい料理の数々は
→「ヴァナム vanam (奈良市矢田原町)」

インド家庭料理 vanam ヴァナム

奈良市矢田原町 743

https://vanam.therestaurant.jp/
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